垂れ流されるニュースにぶら下がる人生

[1]心はどこかに

 荒れた中学校だったので良い思い出は多くはない。力のみが学校のヒエラルキーになっていたので、喧嘩の強いやつは権力が強く、弱いやつは身を寄せ合って三年間を過ごしていた。勿論僕は後者だったので、休み時間にすれ違うだけで殴られたりする日常を過ごしていた。

 先日、ヒエラルキー上位だったかつての同級生が逮捕されたニュースが目に入った。驚きこそすれど、「ああやっぱりか」という感想に落ち着いた僕は、小学生の頃、その子の家でダンスダンスレボリューションを遊んだ記憶が浮かんだ。

 「そういえば、その時も500円盗られかけたっけ。」真偽のはっきりしないニュースを眺めながら、真偽のはっきりした記憶の糸を手繰っていた。僕は同級生が有罪だろうと無罪だろうと、蜘蛛の糸を垂らして地獄から救うような情けは残っていなかった。

 

[2]晩ご飯の方が大事

 24歳の頃、大学院を修了し社会人になるまでの間、一年間いわゆるフリーターだった僕は、裁判員制度裁判員に選ばれた。

 事件の内容は語ることができないが、最終的には「この人は懲役何年にしますか?」という場面があり、罪に対してその人の人生を奪うという権限が裁判員達に与えられた。

 人が人の人生を奪う権限を持つ怖さがそこにはあり、結局は悪いことをしたとされる他人の人生なので、大きく感情を入れることなく話し合いが進み、懲役が決まってしまった。

 この人がこの決定で何年人生が奪われようと、詰まるところ関係のない僕たちは、一日裁判を過ごしてお腹が空いたので、その日の晩ご飯の方が気になっていた。

 

[3]ルーツ

 普段から生きるとか死ぬとか強めに考えてしまう思考の癖を持つ僕は、今週その癖を持つに至るルーツを思い知らされる出来事が起きた。

 布団に潜りながら自分の価値観を整理し、同級生は逮捕されたとて死ぬことはないだろうし、僕を含む裁判員に懲役を言い渡された人もまだ生きているだろうとか、そんなことを考えていた。

 結局人生はなるようにしかならないが、できるだけなるようにはしたい。少ない睡眠時間を経て、朝からM-1グランプリ3回戦の動画を見ていた僕は、この漫才師達も、人生なるようになってほしいと願っていた。

 願ってはいたが、どこかやはり自分の人生が一番で、自分がまずはなるようになってほしいという欲望があった。売れていく漫才師に自分を重ねていた。自分の状況は変わることはないのに。

 とりあえずこんなことをしていても何も変わらないので、少しでももがくためにスタジオを予約してドラムの個人練に向かった。いつもよりちょっとだけ身が入らなかった。