恩を返す季節

[1]恩を返す季節
 ブラック部署で心を病んで職を辞め、続けて別のブラック企業に勤めてしまい、働けど働けど人生は好転することもなくむしろ懐も心もじり貧に向かう最中、他の可能性を拓く気力もなく、バンドは続いていたがもう色々人生詰んでいた5年ほど前の日々のなかで、人に察してもらい助けてもらった過去がある。
 それはモノ的にも精神的にも、かけてくれた言葉の中にも息づいて、当時なんとか生活を続ける気力になった。不思議なものである程度生活がままなった今、当時受けてきた恩を返すチャンスが連続で訪れている。「恩を返す」という行為は時に単なるエゴでしかないのは承知の上で、そして、別に恩を返さなくても誰もなんとも思わないけれど、ここで人のために何かしたり伝えたりしないと、今後の自分の人生がダメになってしまいそうな気になっている。
 そしてええい、エゴでいいじゃないかと色々と首を突っ込んでいる。首を突っ込んでみると面白いことに、また新たに自分の人生観を変えたり強化する言葉に出会う。結局は自分のエゴだけど、恩は返すに越したことはない。


[2]恩を断る
 名古屋の栄には、僕がブラック企業時代に良くしてくれた取引先のお店がある。僕が色々ダメになって突然仕事を辞めたとき、個人的に連絡をくれて「名古屋に来ないか?」と声をかけてくれたことがあった。
 結局は名古屋へいかなかったけれど、そのときに名古屋を選んでいたらどんな人生になっていただろう。当時名古屋へいく決断をしていたら、きっとガストバーナーに入っていない。価値観や挫折が整うまで、僕たちは早く出会ってしまってはいけない。そして勿論ZOOZも組んでいない。先日ヤジマX KYOTOのツアーファイナルが終わって、名古屋のネットカフェで一晩過ごして始発へ向かうとき、その取引先の前を通りかかり記憶が色々と蘇って考えていた。
 「名古屋へ来ないか?」とかけようとしてくれた恩を断ったことで、拓ける未来もある。条件もよかったのに、なんでその誘いを断ったのだろうか。その理由も思い出せないけれど、多分「なんとなく」だったんだろう。恩を返すとか返さないとかエゴとかで人生は拓けるのではなく、案外「なんとなく」がすべての因果になっているかもしれない。