ベルトコンベア

[1]山羊革のズボン

 高校生の頃、国語の先生は「40代に入り、僕が子どものころに元気だった大人がどんどん亡くなっていって、まるでベルトコンベアに乗っているみたいに死に向かっている気がする。」と言っていた。

 当時「死」なんて果てしなく遠くにある活力に満ちた高校生のくせに、妙にその言葉が引っかかったまま、気づけば十数年が経った。高校生の時よりも如実に「死」が近づいてくると、あの時の先生の言葉がより輪郭を持って浮かび上がってきた。先生がいつも履いていた山羊革ズボンの記憶は薄れていくのに、言葉の重みばかりが強くなり、ベルトコンベアに乗っている実感が湧いてきた。

 

[2]暇潰し

 仕事は人生の暇潰し。業務中ずっとグーグルアースで国内旅行を決め込んでいる窓際おじさんを尻目に、人間が決めた我儘な「納期」という言葉に振り回されていた僕は、窓際おじさんのデスクトップを視界に入れながら「あのおじさんの人生は楽しいのだろうか」と、あたふた色んな部署に電話をかけたり書類を作ったりしながら考えていた。

 夜に会社を出てひんやりとした外気を浴びた途端、「僕は一日何をしていたんだろう」と我に帰る。仕事は「死」を忙しさで忘れさせてくれる便利な暇潰しだ。

 翌朝も、野良猫を探すかのように路地裏に滑り込み続ける窓際おじさんのモニターを眺めながら、「本当にあのおじさんは人生が楽しいのだろうか」と、繰り返し僕は暇潰しに勤しむのだった。

 

[3]MISOJI

 「MISOJI RIOT番外編」というイベントにガストバーナーで出演した。はるきちさんが喉を壊し、最終的にゲストボーカル6人を迎えてライブを行う形になった。本当にありがとうございました。

 奇しくも、ゲストボーカルの面々が個人的に10年以上付き合いのある方、ずっと知ってたけどここ数年で交流を持つようになった方、10年ぶりに会話を交わす方、様々な時間軸を飛び越えて30分のステージに集結した。同窓会みたいだった。

 こうして音楽仲間に会える時間が本当に愛おしく感じるようになった。いがみあったり、勝手にライバルだと思っていた人達も、「コロナ禍でお互い頑張っているよね」という事実のおかげで、色々飛び越えて僕たちを戦友にしてくれた。ウイルスを勝手に悪者扱いにするのは良くないのかもしれない。

 ともかく僕たちは一緒にベルトコンベアに乗りながらわいわい死に向かっている。グーグルアースを見つめる毎日よりかは、少しばかり刺激的な人生を歩んでいるような気がしないでもなかった。