高校生の頃にガストバーナーというバンドに出会わなくて良かった

 

[1]自習室

 高校三年生の五月。進学校に通っていたので大学受験の波は押し寄せるものの、まだそれほど緊迫していない時期だった。

 学校は土日に教室を開放し、勉強しても良いよという空気を出していた。が、教室を利用する人は全くと言っていいほど居なかった。記憶は定かではないが、ある日、仲の良い四、五人で教室に集まって勉強すれど集中が切れたら会話し、程なくまた勉強し、みたいなことをしていたような気がする。

 そんな折にある友人がケーキを内緒で買ってきてくれて、教室で僕の誕生日をサプライズで祝ってくれた。いや、もしかしたら友達の誕生日だったかもしれない。とにかくわいわいする瞬間があった。

 すると騒ぐ声に誘われて先生がやってきて「自習のために開けてる教室で遊ぶな!」と怒られた。残念ながら、僕はドラムを叩く姿と裏腹になんちゃって優等生だったので「怒られ耐性」が全くない。なので驚きと反省のしゅんとした気持ちを高校生活の思い出に折り込むことになった。

 

[2]怒られないけど怒られるかもしれない

 この「楽しいけど先生に怒られるかもしれないギリギリのライン」のようなものをガストバーナーは歩んでいるように感じる。

 実際怒られるようなことはしていない、が、どこから湧いてくるのか分からない高校生の頃の無尽蔵のワクワク感や底無しのスリルみたいなものを感じている。同時に箸が転がれば面白いという10代特有の、なんでも笑けてしまうあの日の感情と被る瞬間が幾つもある。

 DOPING PANDAのラジオを聴きながら数Bに取り組んでいたあの夜や、「変な声ですね」と後輩に言われながらも「かっこいいから聴いてよ!」とSDコンポから凛として時雨を流していた頃を思い出してしまう。

 時は過ぎ令和三年、ガストバーナーはいい大人なのに、何故か放課後に悪だくみしながら集まっているような不思議な感覚になる。楽しさは、そういうところから来るのかもしれない。

 

[3]歩んだ人生は破滅を生む

 しかしながら残酷、お小遣いでBEAT CRUSADERSを買うか、ELLEGARDENを買うか悩みに悩んでいた学生の自分からは10年以上経過している(今振り返ればTSUTAYAに置いてたナンバーガールを買えば良かったとも思う)。メンバーは皆、口を開けばこれまで経験してきた辛い人生の話、今の仕事への絶望、未来の健康の心配、理想の死に様、あんな人にはなりたくないよねという共感、禿げたらメタルをやるしかない等等等がとめどなく溢れ出てくる。

 10代の頃と比べれば確実に死が迫っており、あらゆる可能性も狭まってきて、こじ開けるパワーもあるのかどうか分からないが、どうやら辛い人生をポップに笑い飛ばすくらいの気力はあるようで、漂う高校の放課後感と話の内容のちぐはぐ感がとても面白かったりする。

 このちぐはぐ感が、ガストバーナーのポップな破滅感の元凶なんだろうなと思う。高校生の頃に、ラジオからこんなバンドが流れなくてよかったな。もっと人生が破滅していたかもしれない。いや、やっぱり流れて欲しかったな。もっと破滅していたほうが、人生拓けていたかもしれないね。高校生の頃の僕は、こんな人生になるだなんて知らずに世界史を勉強していたし、ラジオからはゆらゆら帝国の「空洞です」が流れていた。