昔の友達にはもう会えない

[1]免罪符

 安心は病名から得られる時もある。かつてブラック企業勤めで限界がきてしまい、あれもこれも信じられず複数の心療内科に通っていた頃を振り返ってみると、なんだか僕は「あなたは鬱です!」とはっきりと言ってもらえるところを探していただけのような気がする。

 当時は自分なりにもがいていたけれど、病名さえあれば自分は病人で、免罪符のように病名を携えて、自分の上手くいかない現状に納得したいだけだったのかもしれない。

 勿論病気全てに当てはめてはいけないけれど、病名をつけられるという行為は時に「自分の大変な状況を表すステータス」としての安心感をもたらし、その安心感に浸りすぎてはいけない瞬間もしばしばある。

 

[2]505号室の友達

 謝りたい。小学生の頃、隣のマンションに住んでいた友達とよく遊んでいたし、地獄堂というお寺にもよく行っていた。

 しかし、同じ中学に入ったものの交友関係が互いに変化していくと、僕が一方的に「あの子と同じグループと思われるのが嫌」という理解しがたい思春期特有の理由から、意図的に疎遠に拍車をかけ、中学卒業の頃には素っ気ない仲になって、声もかけないまま今に至る。もう連絡先も何も知らない。

 最近地元を通った時、友達の住んでいたマンションそのものが取り壊されてコンビニになっていたことに気がついた。その光景をみて、かつてその友達の家で潜水艦のゲームをしたり、友達が飼っていたインコの名前の記憶が蘇って、余計に当時の僕の素っ気ない態度を恥じた。

 謝りたくても謝れない。もう、ネットで検索したってなにをしたって、友達の情報は出てこない。

 

[3]必ず8時59分に来る上司

 僕は性格が悪い。会いたくても会えない友達の名前を検索することもあれば、会えても会いたくないブラック企業の上司の名前も検索したりする。

 今春、上司の名前が会社から消えていた。辞めるような人ではなかったけれど、辞めたのだろうか。辞める前に僕がどんどん弱っていく様を、上司なりに心配もしてくれたので感謝している一方、同時に心療内科に通わないといけないくらい八方塞がりになった原因の一つでもあったので簡単に気持ちは割り切れないが、彼もまた、色々抱えていたのだろうか。

 そんな上司の今後を知る手立てはないし、もう二度と会わないだろう。マンションが隣だった友達とももう会わないだろう。そうやって関係は流転しながら、人生は巡っていく。

 最近は「人生はそんなもの。出会いと別れの繰り返し」と思う節もあるけれど、そんな簡単に諦めていいのか?と強く思うようになっている。

 きっと僕がSNSを辞め、音楽を辞めれば同じように消えていくのだろう。けれど僕が音楽を辞めれないのは、音楽を通じて同時代を生きている皆んなとなるべく楽しく長く過ごしたいだけなのかもしれない。そんなことを思いながら、今からスタジオに入って練習してきます。