自分にはできないこと

 

[1]孤独と罪悪

 職場で同じ部署だった人。仕事に時間がかかって残業ばかりしてしまうものの気が利いて、優しく、健気に毎日頑張っていて、あまりに業務が山積しているときはそっと声をかけて手伝ったりしていた。が、その方が他部署に移って数ヶ月すると心労が限界に達してしまい、会社に来ることができなくなり、休職してしまった。

 かつてブラック企業に勤め似たような経験をしたことがある僕は、むしろ休職してからが本人にとって正念場で、みんなが察知できないところで時間をかけて日常を取り戻さなければならないし、一方で休んでいる間の罪悪感、職場に迷惑をかけている感情、自分のふがいなさに苛まなければならないな、大丈夫かな、と心配になった。

 心配こそすれど、心配することしかできなかったのでそのまま日々は過ぎてしまい、数ヶ月後、風のように「あの人、今月末にそのまま退職するようですよ」という話を聞いた。あぁ、会えないまま、あの人は退職してしまうのか、と思った。

 

[2]自分にはできなかったこと

 ところが先日、その人は退職前に職場に現れて、一日かけて一人一人に挨拶しにきてくれた。ご迷惑かけました、ありがとうございました、と一人一人に時間をとり、それぞれ感謝の意を伝えていた。

 勿論僕にも挨拶しにきてくれ、同じ部署だったときに色々助けてもらったと話してくれた。メンタルを崩す前からは比べものにならないくらい柔和になった表情から、逆に休職している間の苦しみが見てとれ、それでも最後に顔を見せてくれたその行為に逆に僕は救われてしまった。健康な姿を見ると、人はこんなに安心するんだなと思った。

 事情こそ異なれど、かつて逃げるようにブラック企業を辞めた僕にとっては、挨拶しにきてくれたその人の姿は本当に素晴らしく、自分にはできないことをやり切る姿に深く感動していた。連絡先も知らないので二度と会うことはないかもしれないが、今後の人生を応援しようと思う。

 

[3]大切なお知らせ

 この一連の出来事を反芻しながら家に帰っていると、バンドの解散や活休や脱退も、似たようなものかもしれないなと思い始めてきた。人であり、コミュニティに属する限りはそういった出来事は起こり続ける。

 解散ライブもないまま、事後解散を報告をするバンドもいるが、本人達のメンタルを保つ上での結果であるならば、ケースにも依るが僕はその自分勝手な選択も尊重したいと思う。一方で「おい!!黙って解散してんじゃねーぞ!!しばいて済むならしばくけどぶつけようないじゃねーか!!!どうしたらいいんだよ!!!不誠実!!!!馬鹿!!!」という気持ちも同じくらいあるので腹が立つことを何も否定しない。

 が、ライブハウスで会えなくなった人も、職場で会えなくなった人も、小学校で遊んでいて今どうしているか分からないかつての友達も、どこかで元気で生きてくれたらいいなと思っている。そうやって流れるように人と人が関わり続け、流れるように老いて、人生が終わり向かうのも一つ美しいのかなと思ったりも、思わなかったりもする。ともかく、同部署で今月末に退職するその人の今後の人生が穏やかなものになりますように。