五分後の未来を良くするために

 

[1]後悔の幽霊

 最近霊感が強くなった。知らない人の幽霊は見えないが、自分の幽霊は見えるようになった。いや、「幽霊」という表現は正しくないかもしれない。

 例えば、今日仕事の帰り道にドーナツを買わなかったら後悔するだろうな、ということがドーナツを買う二日前に分かるというか、信頼している人を悲しませないようにするには予めどうすれば良いかとか、喜んでもらうにはどうすればいいかとか、そっとしたほうがいいかとか、そういったことがこれまでより少しだけ早く察知することができるようになった気がする。

 それは、ただただ沢山失敗を繰り返した人生経験が糧となって、未来予測が少し精緻になっただけなんだけど、ともかく早めにネガティブな未来を招く自分の幽霊には成仏してもらおうという心持ちである。

 

[2]五分後の未来を良くするために

 ガストバーナーで「開運ツアー」という妙に胡散臭いツアーを東名阪で行った。実際のところ次出す音源のタイトルが『GoodLuck』と決まっていたので、そこに引っ掛けて「開運」という言葉を使っていたに過ぎなかった。が、後付けであろうが付けられた名前は意志を持って明確に僕たちに影響を与えていた。

 先日のツアーファイナル、名古屋ワンマンでドラムを叩いている最中に気づいたことがある。僕はライブ中に限って言えば「五分後の未来を良くする」ためだけに生きているということだ。ここのビートはおもいきってこうする、メンバーの顔を見てニヤッとする、お客さんをみて思わず自分も笑顔になってしまう、そんな行為の一つ一つが五分後への投資であり、結果的にそういう行為の積み重ねが「良いと思えるライブ」や「開運」を手繰り寄せるんだなと感じていた。本当の運は降ってくるものでもなく、自力のみで得られるものでもなく、みんなで手繰り寄せるものなんだなと。

 ただ、どんなに運を手繰り寄せたところで、経験則から見えてくるネガティブな未来や、それを示唆する後悔の幽霊が消えることは決してない。良いと悪いは常に世の中に混在しているから、人生の選択をミスして悪い方に転がる可能性なんていくらでもある。が、それでも「なんとかなるかもしれない」と思えるようになったのは、ツアーで得られた大きな救いな気がしている。ツアーの翌日、打ち上げでゴミになった体を引き摺りながら名古屋から近鉄電車に乗り込んで大阪に向かう僕は、どうみてもボロボロの幽霊みたいだったけど、それでも「なんとかなるかもしれない」という気持ちだけで大阪にたどり着くことが出来たので、早速開運の効果は上々のようだった。