どこから行っても遠い町

ここ1週間の出来事。

 

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最近バンドメンバーと話していて小説の話題になることが幾度かあり、その度に「川上弘美が良い」と言い続けている僕は10年前から思考が停止している。

 

10年前、小説好きの大学の友達に「川上弘美読むんだ」と伝えたら「それは君が大人になったってことだね」と言われて嬉しくなってから、事あるごとに川上弘美の名前を出していて、そこからまるっきり成長をしていない。

 

2014年に大学院(西洋の歴史学をしていた)を修了して以降、あれだけ買い漁っていた本(論文も小説も)まるっきり読まなくなって、自宅に大量に放置された本は「積ん読」を通り越してもはや「収納読」とまで化していた。けれど、引越しするたびになんだか捨てるには名残惜しくて、毎度毎度本達と一緒に住所を移しては押入れのデッドスペースを作っていた。

 

ここ数年は完全に仕事と音楽で予定をパンパンにして「豊かな時間」を削って切り詰めた時間の中で生きていたんだけど、そろそろ本を読む時間を大切にしよう、これがきっと音楽にも活かされるだろうと思い、収納読コーナーから何冊か小説と、昔読んでいた論説とを引っ張り出してきた。論説は9年前に貼った付箋がびっちり貼りついていてなんとも当時は分かった気になって頭いっぱいで読んでたんだなと感じた。とりあえずリュックに当時の本を入れた(入れたこと自体に満足してしまい、読まないかもしれない)。

なんとも、メンバーがきっかけでこういう思考にまた立ち戻ってこれたのは嬉しい。相当嬉しい。

 

 

 

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名古屋でライブをした。

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↑集合写真はライブハウスのアカウントから写真を拝借しました。

 

僕はZOOZとガストバーナーの2バンドで出演した(イベント自体は+或る感覚のスリーマンで最高だった)。この2バンドのメンバーが揃うのは初めてで、なんだか授業参観の親御さん、お見合いの仲人のような気持ちになって始終そわそわしていた。

 

ガストバーナーのメンバーにZOOZをやたら褒めてもらったのが嬉しくて調子づいてライブができた。場所が持つ力と熱は、配信で再現できないんだなと改めて思ったし、文字に起こすのも野暮だなと思った。そんなこと誰も分かっている。

 

そしてハイエースでそのままガストバーナーで関東へ。夜中に出発して目的地に着く頃には夜が明けていて、眠気と体の疲れと日差しがミスマッチしている感覚がとても久しぶりだった。メンバーで他愛もない話をしながら銭湯に行ったりSAでぐったりしたり、全てがあぁこれこれという感触があった。ライブ自体も感覚を掴んでいくのが随分と早くなった。

 

「こんなこと数年前はよくやってたのにな」というノスタルジーが混ざりに混ざって終始よく分からない高揚感に包まれていた。はるきちさんは良く寝ていた。「ライブができる」という純粋な楽しみを取り戻したような気がする。

 

 

[3]

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その2日後、シンセボーカル萌里ちゃんとのユニット、SSDDで初ライブをした。

 

ライブ中に「この人佇まいから何からかっこ良すぎない?」と思っていた。会社員していたらこういうタイプの人に会えるのは滅多にないことで、小心者の僕にはないものを沢山持ち合わせていて毎度刺激的に感じるんだけど、ライブでは更にその部分が出ていてドラムを叩きながら感動してしまっていた。偶然の産物で動きはじめたユニットだけど、活動できて光栄だなと思う。実験的なこと色々できたらいいな。

 

これらが1週間のうちに瞬く間に過ぎてしまって、個人的に今年のライブは全て終わりました。

昨日は僕がかつてサポートしていたバンド「biens」が2年半ぶりにライブをするというので観に行った。

 

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↑これは僕がまだ在籍していたときの写真

 

ライブの曲はほぼほぼ新曲なのに、ギターの三谷くんのリズムの取り方をみて、色々記憶がフラッシュバックしてきて、やっぱり良いバンドに関われていたんだなと思った。思い出が美化されているだけかもしれないけれど、結局今に繋がっているので良いことだったと思う。

 

過去と今が明確に繋がっているのを感じた1週間だった。と同時に自分の思考が停止している部分と次々とアップデートされている部分があると感じた。

思考の停止は人間の愚や偏見を次々と生み出してしまうからなぁ。本読むか。ちょうどリュックに入れてるし。