試験に落ちた

 

[1]試験を憎んで世を憎む

 バンドばかりやっているくせに、合格率のとても低い試験を数年受けている。今年は本当に受かりたくて、寝る間を惜しまずしっかり寝たが、勉強もしたので手応えもあったのに後少しのところで落ちてしまった。

 僕はどうやら「試験」というものに疑心暗鬼になっている。学生時代は試験が好きで、それなりに学力もあり、脈絡のない世界史の暗記は特に得意だったが、大学を出たあたりから心からかっこいいなと魅力を感じる人と、試験で測れる学力との相関性がとれなくなり、疑心に拍車がかかってしまった。

 学力と人間性がマッチしていない試験が多すぎる。試験はそういうものなのかもしれないが、「そういうもの」で諦めるなよ人間、と思う。遂には試験を「生きる上で役に立たない知識で構築された問題群で人をふるいわけ、残った者だけに合格を与える究極の暇つぶし」と断じるようになった。問題一つ一つに心でケチをつけ、「こんな問題作って何になるんだ!神さまにでもなったつもりか!」と問題作成者の人間性にまでくどくど文句をつけていたが、自分にケチがまわってきて不合格になってしまったようだ。

 

[2]毒でもあり善でもある

 ガストバーナーの辻斬りっちゃんの言葉は、しばしば僕に指針を与えてくれる。「私って、興味のないこと、人生で意味がないことは本当にできないんですよ」といった主旨の彼女の言葉が、一見ありきたりなように見えて妙に響くのは、彼女自身がその生き方を体現しているからに他ならなかった。

 裏返せば、いくら言葉を尽くしても、生き方に説得力のない人の言葉は響かない。それは、どんな難関な試験に合格して、沢山の資格を持ったとしても同じである。

 試験に落ちたそれなりのショックで、頭のなかは不安定にぐるぐるまわっていたが、蜘蛛の糸のように垂れてきたのは、上述のりっちゃんの言葉だった。救われた。

 試験で測れる学力で構築された社会と、今の試験制度では人間がもつ魅力が測れないこと、このズレが僕を毎日生きにくくしているのかもしれない。が、それでもヘラヘラと波に乗って生きていった方が楽しいので、沢山のかっこいい人の言葉に寄りかかりながら日々をやり過ごそうと思う。

 来年は、沢山文句をつけながら受かればいいなぁ。