幸せは足元に
[1]ちょっと変な僕
「あんたちょっと変やけど面白いね!!」母が僕の姿を見えなくなるまで見送るときに、笑顔で発した言葉がやけに心に残っている。
晴れて検査入院から退院ということで、何かあってはいけないと母を病院まで迎えにいったが、結果的に母から軽い荷物を取り上げていかにも手伝っているように装って、ただただ母の住む家に着いて行っただけだった。
道中、昔母と住んでいたマンションがリフォームされた上に家賃が下がったとか、平成に取り残されたようなモールに寄って物色したパジャマが少し高いねとか、固いベンチに座ってお茶を飲んだり、たこ焼き屋が潰れてまたたこ焼き屋ができたのよとか言いながら、そのたこ焼きを買って母と他愛もない話を続けて家に着いて行ったが、それでも足りないのかもう2時間くらい母の部屋で話していた。
母と2人でここまで話すのは一体何年振りだろう。当たり前のように話しながら、当たり前でない時間の貴重さを噛み締めていた。
[2]泥酔の記憶
母が僕に「ちょっと変」と言ったのは、母の住む家から最寄駅まで歩いて30分くらいかかるし、バスも走っているのに、僕が母の住む家からお暇する時、頑なに「歩いて帰る!」と言ったからだった。
「歩いていると考えがまとまるし、街がどう変わっているのか見ながら帰りたい。」と言うと「なるほどなぁ、面白いなぁ」と反応した。
母に見送られて一人で街を歩いてみると、案外変わっていなかった。僕が泥酔して冬に泳いで渡ろうとした川や、僕が泥酔して目覚めたら枕代わりにしていたガードレールもそのままだった。
そんな変わらない街を見ながら先ほどの母との会話を反芻していた。母も僕も精神は変わっていないが、間違いなく体はお互い古くなってきている時の流れを感じた。この事実は悲しいことではなかったが、あと何年同じ時の流れのなかでお互い生き続けるんだろうかと冷静に考えるきっかけになった。
[3]幸せは足元に
自分の家に戻ってくると、母からメールが入っていた。「とても楽しかった!!幸せです。」と言う内容だった。
検査入院の結果もまだ分かっていないので、本当は自分の未来に大きな不安を抱えている母が、僕と他愛もない話をした数時間を「幸せ」と表現してくれたことに家で少し泣いた。
母のメールを眺めながら、不安と幸せは案外同時にやってくるものなのかもしれない、と考えていた。幸せは追いかけるものではなく、意外と足元に転がっているのかもしれない。前ばかり見ていては気づかないこともある。また、母から大切なことを学んだ。