どんな大人にもなりたくない

[1]灰色のマフラー

 久しぶりに母に会った。「高校生の時にマフラー編んでくれたよね。あれ、今でも全然捨てれなくて家にあるよ。」と言ったら「そんなん編んだっけ?全然覚えてへんわー!」とあっけらかんとした返事が飛んできた。

 電話やメールではちょこちょこ連絡していたものの、コロナが始まる前を含めて3年以上会っていなかったので僕はとんだ親不孝者である。以前よりも確実に痩せた母の姿に少々不安になったが、話せばいつもの母である。気丈に振る舞っていただけかもしれないが、肌艶も悪くなかった。

 マフラーのことはすっかり忘れた母だったが、自宅に帰ってマフラーを取り出して見返すと、母が編んでくれた記憶と、それを巻いて高校に通った記憶が多少は湧いてくるので、編んでくれたのは事実の可能性が高かった。捨てるなんてとんでもない。

 

[2]どんな大人になりたい?

 高校生の頃、どんな大人になりたかったのかというと、特に何もなりたくなかった。ただこれは、怠けているとか未来に絶望しているというわけではなく、「なんか当てはまる職業が無いなぁ」ということだった。

 高校の適職診断で「測量士」が僕にとって最も適した仕事であると診断された。測量士の方に申し訳ないなぁという思いと同時に「なんか違うなぁ」と思いながら、大学へ進んだ。そこでも「就職活動するのはなんか違うなぁ」と思い大学院に進み、大きな志のないまま今に至って何となく生活できている。

 最近ようやく気がついた。この「なんか違うなぁ」の原因は、この世で用意されたあらゆる職業がピタッと自分にはまっていないだけということだった。現実は最初からヒトカゲフシギダネゼニガメのなかから選ばなければいけないという訳ではなかった。

 何となく生活できている状態というのは、非常に危険な状態だと思う。このままきっと、何となく生活ができて、何となく死んでいく。この状態を解消するために、少し動こうと静かに決意した。

 

[3]セキセイインコと喧嘩

 どんな大人になりたいかも分からず、ただ良い大学に行けば未来の可能性が開けるだろうとか、まだもうしばらく学生をして働きたくないとか、楽しいキャンパスライフが待っているとかいう理由だけで、高校生の僕は大学受験勉強に勤しんでいた。

 勉強部屋に一羽のセキセイインコを飼っていた。人間の残酷な横暴で鳥なのにトロと名付けられたそのインコは、時たま僕と本気の喧嘩をした。

 かまってほしいから鳥かごの中で鳴き叫ぶ。勉強の邪魔をされた僕は怒り、インコに怒鳴る。怒鳴るとかまってくれたことになるので、さらにインコは鳴き叫ぶが、意地になって僕は鳥かごの扉を開かなかった。

 当時は何故インコに僕の未来を邪魔されなければならないのだろうと怒っていたが、今思えば、インコはいくら頑張ったところで大学にもいけなければキャンパスライフが待っているわけでもなかった。

 ただ、鳥かごの扉を開けて遊んでほしい一心で鳴いていた。それがインコの想像する未来だった。僕は自分の未来のことばかりを考えて、本当に悪いことをした。

 今も時たま、10年前インコの亡骸を埋めた公園を横切ることがあるが、不意に脳内にインコの鳴き声が聞こえるというフラッシュバックもなく、ただ通り過ぎるだけだった。たまに思い返して悪いなと感傷に浸ることさえ、人間のエゴのように思えていた。