歯の抜けている本数が多い人ほど手癖が悪い

 

[1]鹿のお尻は固い

 現職に就く前、ブラック企業を勢いで辞めてしまい、それでも生きていかねばならなかったので「繋ぎのバイト」を数ヶ月していた。

 ブラック企業で地獄を経験したので、もうここまでくればやったことのない世界を覗いてみようと思い警備員に応募してみた。警備会社の社員さんは口は悪いし血の気は多いし、ハイエースの運転は荒いので車は跳ねまくっていたが、なんだか憎めない人情味のある人が多かった。

 社員さんは事あるごとに「警備員のおっちゃんは歯の抜けている本数が多い人ほど手癖が悪い」と言っていたが、確かにお昼に1人一つ支給されるお弁当を黙って3つも平らげて、何食わぬ顔をしていたおっちゃんは歯が6本抜けていた。怒り狂う社員さんを横目に僕は、奈良の鹿のお尻をゆっくりと押して車が通れるように道幅を稼いでいた。

 

[2]丁寧な墓荒らし

 「警備員は虚しい仕事だよ。だって「一日何もないこと」が望まれる職業なんだもん。何もなかった、良かった、で家に帰って酒を飲んで寝るんだ。毎日毎日、この繰り返し。」ある日の社員さんは言っていた。

 毎日毎日「何も起こらないように」生きるということは、「何も残さず」死んでいくということ。現場に行けば警備員歴の長い色んな人に出会い、空き時間に話していたが、多くの人が何だかどこか人生に「空虚」を抱えていた。が、抵抗しているわけでもなく、悟っているわけでもなく、「空虚」を肯定も否定もせずに生きていた。

 「何も残さず死ぬ」という生き方を選ぶ、それは風のように生き、誰の記憶にも残らず去っていく、そういう生き方。曲がりなりにも大学生の頃、「人が生きてきた形跡」を色んな角度から照射する手法が多い歴史学に少し触れていた僕は、もしかしたら自分が「丁寧な墓荒らし」をしていたのかもしれないと思った。同時に自分がただただ学問への見識が浅いからこういうことを思うのかもと感じ、ちょっぴり情けなくなった。

 

[3]室生口大野くらいまで引き摺っていた

 ガストバーナーのはるきちさんとスタジオ帰り、一駅歩いている時に何気ない話をしていた。「この前対バンしたドラムの子、打ち上げで話してみたら、当時みそっかすを観に来てくれてたみたいで。そうやって形じゃないけど何か残すことができたってことは、俺は生きている意味があったのかもしれない。」

 僕は「それは良いことですね!」なんて言っていたけれど、後になってその自分の感想を反芻している内に、さっきの警備員さんの言葉が浮かんできた。

 「何か残す」ことを望む人、「何も残さない」ことを望む人、色んな生き方があってどれが良いとか、どれが悪いとかは無い。無条件に「何か残す」ことが良いと思って、はるきちさんとの会話で脊髄反射のように感想を口走ってしまった僕はなかなかダサいな。そう思いながら少し溜息をついて大阪行きの近鉄電車に乗り込んだのだった。