前歯は何回折ってもいいですからね

 

[1]前歯を折った日

 「俺だってドラム上手くなりたい!!!!」軽音楽サークルの飲み会終わり、お酒に酔った友達が、深夜の大学の池に飛び込み、ずぶ濡れになりながら叫んでいた。

 そんなぶっ飛んだ奴と、大学を卒業しても年に数回のペースで飲みにいくことにしている。彼はガストバーナーのツアー見にいくよと言ってくれた。

 コミュニティ、それは学校だったり、会社だったり、はたまたバンドであったり様々だけど、卒業、退職、解散でコミュニティの枠が取っ払われると、会わない人がほとんどである。

 大学というコミュニティの枠が外れても、会い続けている彼と僕は親友なんだろうか。認めたくないが、親友なんだろう。なにせ、何年か前に彼と飲みに行って記憶を無くし、僕は帰り道で転倒して前歯を2本折ってしまったくらい心を許しているんだから。

 

[2]コストパフォーマンス

 「バンドなんてコストパフォーマンスの悪いこと、面白くなきゃやってられないよ!」いつかのガストバーナー加納さんが言ってたけれど、本当にそう思う。

 コロナ禍で良かったのか悪かったのか、こんな時勢でも音楽をやろうという肝の座った人達が凄く見えやすくなった。人間の底力と言うべきか、諦めの悪さというべきか、人生の価値の置き所というべきか、「この人は、この部分を大事に生きているんだな」と様々な場面で感じる数年間だった。辟易することも多いけれど、蜘蛛の糸のような細い希望が見える日々でもあった。

 今、音楽が出来ていることは幸せで、かつ異常なことで、世間から爪弾きにされて然るべきことなのかもしれない。

 

[3]消しゴムのような仮歯

 先日母親から「誕生日おめでとう!36歳だっけ?」とメールが来た。思いきり年齢を間違えている。僕は16歳だ。

 続けて「ガストバーナー新曲出ましたね!心が良し!という方向で歩んでください」と綴られていた。やはり、16ビートの母は時勢に流されず偉大である。

 ライブ、見に来てくれたらいいのになと思いつつ、コロナ禍になって母親に会ってないな、あと何回母親に会えるのだろう、と思い、気がついたら「また飲みに行こう!」と友達に送るみたいな返事をしていた。

 母親と飲みに行く日をなんとかこじつけよう。そして、ガストバーナーの新譜をあげよう。ZOOZの新譜もあげよう。そして飲みすぎて記憶を失って、帰り道にこけて前歯を折ったとしても、僕は消しゴムのような仮歯を入れてニコニコしているだろうな。そしたら、バンドやってて良かったと思うかもしれない。