大人が大人になるということ

[1]団地の景色

 ブラック企業を二度辞め、それでも生きていかなければいけないから、この際やったことのないことをと思い、しばらく警備員をしていた。もう5年くらい前のこと。そこにあったのは不器用な人の温かさだった。

 団地エレベーター工事の警備は基本何もない。稀に高齢者が買い物に帰ってきた時エレベーターに乗れないから、代わりにスーパーの袋を持って数回階段を駆け上がるだけの一日だった。

 小分けにして10時間ほど、毎日団地の5階から外を眺めていた。気を抜くと、辞めたブラック企業の社長の顔が浮かび、怒号が聞こえた。

 あいつは悪魔だ。あんな大人になりたくないな、そう思いながら太陽が登って沈むまで立ち続けていると、「今日はもう上がっていいよ。」と日焼けしたおじさん警備員が声を掛けてきた。しばらく雑談をしていると「あんたはまだ若いんだから、俺みたいな何もない大人になるんじゃないよ」と言っていた。

 それじゃあどんな大人になればいいんだろう。もういい大人なのに。社会に自分の生きる姿を想像できないまま、帽子を脱いでペチャンコ頭のまま家に帰った。

 

[2]アルバムタイトル

 ZOOZは、本当に良いバンドだ。結成当初、僕は過去の積み重ねに甘えずにやろうと決めていた。過去に甘えるということは、現状の自分の怠惰を許すということ。そういう僕の謎の気概を見かねてか、察してか、メンバーは驚くほど音で応えてくれた。

 程なくしてコロナ禍に突入するも、第7波と言われる感染の波に飲まれながら、第4枚目のアルバムを製作している。コロナの波よりも早く製作ができないのが悔しいが、健全に音楽をすること、という芯の強さをメンバーが日々教えてくれたように思う。

 次のアルバムタイトルなにがいいかな、と考えている内にメンバーのことが気になってしまって、思考があちこちに飛んでしまう。アベさんは、コロナが始まったときに、何故かキッズサイズのドラえもんマスクを僕にくれた。しいたけもくれたし、ドラえもんのナップサックもくれた。メンバーは皆、静かにお茶目である。

 そんなメンバーに囲まれて、静かにお茶目な大人になるのもいいかもしれないな。そんなことを思いながら、阪急電車に揺られてマスクの下で微笑んでいた。アルバムタイトルは浮かばない。

 

[3]幸せの根源

 幸せとは。知らない人まで押し拡げるほど僕はできた人間ではないが、身の回りの人たちくらいは幸せになってほしい。

 幸せとは何なのだろうか。分からないが、先日ガストバーナーのメンバーと朝まで飲んで、宿も空きがないからネカフェの机に突っ伏して3時間ほど二日酔い状態で寝ていたのは幸せなんだと思う。こんな年齢なのに。

 幸せの根源は、自分自身にではなく、身の回りの人にある。単純に身の回りの人が嬉しければ僕も嬉しい。それぞれ色濃い業を背負って生きている周りの人たちのおかげで、僕自身も面白おかしく生きていられる。

 周りの人を不幸にしてまで、自分自身の幸せは勝ち取るものではない。周りの人が悲しければ僕も悲しい。

 醜い権力欲と責任逃れが渦巻いた会社のオフィスで、そんなことを考えながら誰よりも仕事に没頭していた。このオフィスの中で、幸せを勝ち取る人もいるのだと思う。しかし、それは僕ではない。僕が欲しいのは、幸せで胃に悪い二日酔いで良いのかもしれない。そんなことを思う大人に、今はなっている。