通学路旅行

[1]大予言

 1999年。ノストラダムスの大予言を信じていた僕は、その年に始まったアニメ版キョロちゃんを後数回見たら人類は滅んでしまうんだと本気で考えていた。

 滅亡月の7月には、カゴにお気に入りのぬいぐるみをパンパンに詰めて、滅亡が始まったらすぐに逃げ出せるようにぬかりなく準備をしながら、滅亡前最後のキョロちゃんを見ていた。エンディングでWhiteberry「通学路」が流れ、次回予告を眺めていたけれど「もう次回はない」とカゴを抱えて震えていた。しかし人類は滅亡しなかった。

 来週にはすっかりカゴのぬいぐるみ達を解放して、もう見ることができないはずのキョロちゃんの続きを見ていた。さも最初から大予言なんてなかったかのように学校へ向かった。

 

[2]通学路

 「みんな大人になってく」「大人はわかってくれない」。久しぶりにWhiteberry「通学路」を聴いて「大人」という歌詞に引っ掛かり、安直にグーグルアースで当時の通学路を散歩していた。

 通っていた小学校前の駄菓子屋がとうに潰れていた。駄菓子屋のおばちゃん、どうなったんだろう。小学生の頃、遠足のお菓子を買いに駄菓子屋に行き、万引き犯に間違えられたことがあった。

 おばちゃんが僕のポケットに手を突っ込んできて、僕が家から持ってきた「どうぶつ占い飴」を盗んだのではないかと疑いをかけられた。駄菓子屋には置いていない飴だったので程なくして疑惑は晴れたが、「盗んでない!」と言っているのにポケットに手を突っ込んできた感覚は忘れられない。

 その後何食わぬ顔で駄菓子屋に通っていた僕も僕だが、「大人はわかってくれない」エピソードとして心に刻まれることになった。

 

[3]鉄道病院

 「大人になってしまった」僕のポケットに入っているのは「どうぶつ占い飴」ではなくスマホだった。仕事中取ることのできなかったスマホに表示された見慣れぬ電話番号を調べると、「天王寺鉄道病院」の文字がヒットした。

 すぐ病院に折り返すもコール音を延々繰り返すだけで誰も受話器を取ってくれない。身内に何かあったのだろうか。母親に電話をしたが、これまた繋がらない。嫌な予感に宙吊りにされたまま、数時間過ごさなければならなかった。

 程なくして呑気な声で母親から電話がかかってきて胸を撫で下ろしたが、母が倒れたのか、兄が事故に遭ったのか、はたまたこれが万が一バンドメンバーだったら、あらゆる事態が脳裏を掠めて仕事どころではなかった。と同時に、失いたくないものがこんなにもあるのかと、改めて思い知らされた。

 母親とは「前メールしたけど、もう少し落ち着いたら飲みに行こうね」と、結局日程はまだまだ決まらぬまま電話は終わってしまった。

 

[4]クロワッサン

 体は大人になってお酒もしこたま飲めるようになったし、通学路の街並みは変わっていくけれど、相変わらず色んな面で都合良く「大人はわかってくれない」と、大人なのに思うチグハグな思考に育ってしまった。

 しかし、体が大人になって常識を身に付けたとしても、人生を豊かにするには少年少女のときめきを大事にしたい。それは僕にとってはぬいぐるみだったり、母と呑気な会話だったり、バンドだったりする。

 先日のライブ、お昼ご飯にカレーを食べてきたばかりのガストバーナーの他メンバーと合流した僕は、どうしてもその日買いたかったクロワッサンをメンバーにもと思い、買ってきていた。クロワッサンを差し出すと、お腹が膨れているはずなのに、加納さんは笑顔で大喜びして、吸い込むように平らげ、「本当おいしい!ありがとね!」と言ってくれた。不覚にも、ときめいてしまった。

 こういうときめきを大事にしたい。通学路を旅行して、子どもの頃に出会ったわかってくれない大人のことを思いながら、今の自分と重ねて、反省したり、喜んだり、大事にしたいものを改めて考える僕であった。