「つよくてニューゲーム」はできない

[1]時を戻す魔法

 魔法は使えなかった。夏休み最終日、小学生の僕は「明日起きたら夏休みの初日に戻ってますように!」と強く強く祈りながら寝ていた。しかしながら成功したことはない。

 それはきっと、「できたら宿題は済ませた状態で初日に戻りますように!」と「つよくてニューゲーム」的な欲を出して祈っていたからに他ならないはずで、社会人になった今もまだ、正月休みの終わりには「明日起きたら年末休みの初日に戻ってますように!」と強く強く祈りながら寝る僕の姿があった。しかしながら成功したことはない。

 それはきっと、「できたら一度と言わず、何度も正月休みを繰り返したい!」と欲を出して祈っていたからに他ならないはずで、そんな調子で一生時を戻す魔法を習得できる兆しが見えないまま、光陰矢の如く時は過ぎていった。

 

[2]ニューゲームすらできない

 成功しない。いつまで経っても時を戻すことができないので、僕は真っ直ぐに死に向かって走っていることになる。

 ふと寝る前に「今の人生楽しいけど死ぬんだよな」と思うと、分からないことを考えても仕方ないが、底知れぬ不安が襲ってくるので、YouTubeで三年前にアップされた聞き馴染みのあるゲーム実況を垂れ流して、気を紛らわせて眠りについたりする。

 死ぬ時、「生まれた瞬間に戻りますように!」と強く強く祈ったとして、魔法は成功するだろうか。今のところ時を戻すことに成功したことのない僕は、「成功したら、できたら中学校は治安のいいところ行きたい!」と欲を出して失敗しそうだ。時を戻す自信のないまま、少しだけ死に近づいて朝を迎えるのだった。

 

[3]未来に種を蒔く

 バンドは楽しい。バンドは今を走りながら、並行して半年後、一年後がもっと楽しくなるよう未来に愉しみの種を蒔き続けている。

 いい大人が数人集まって、半年後楽しくなるためにこうしよう、一年後もっと楽しくなるためにああしようとわいわい話し合っている様は、何だか少し滑稽だけれど、こうして未来を明るくしようとする行為はとても希望的だ。

 どうやったって過去に戻る魔法が習得できないなら、できるだけ今と未来を楽しく過ごす作戦を練るしかない。やなせたかしさんが94歳にして「これから面白くなるのになんで死ななきゃいけねぇんだよ!」とお亡くなりになる半年前に話していたが、そういう気持ちで毎日生きたい。

 僕にとって楽しく生きる最善の手段は今のところドラムだっただけ。ただそれだけ。20代の頃は多少あった邪な「売れたい」とかの気持ちを年月かけて丁寧に紐解けば、「楽しく生きたい」という言葉しか残らなかった。

 そんな楽しく生きたい気持ちにさせてくれるのに、叩かれてばかりのドラムにごめんねと思いながら、必要以上に思い切りバシバシ刻んで今日もビートを紡ぎ出す僕であった。ごめんねドラム。