ひのとり


[1]鉄は熱いうちに打て
 日常。ガストバーナーツアーファイナルが終わり、疲れた体を引きずって家に帰ると、当然ながら家の中は出発した時のままで、なんだか僕たちがファイナルと息巻いていても、その前後で身の回りの世界が変わるわけでもなく、脱いだままの寝巻きはこれからの日常の継続を示唆していた。
 ライブ中に、はるきちさんが「また音源を作ってツアーに回ります!」と話していた。それを聞きながら、僕はただ日常や人生を楽しく過ごしたい気持ちや、「認められたい」という欲求を音源に込めて、それを「口実」にツアーに回っていただけなのかもしれないと思っていた。
 僕たちはきっとそのうち、また「音源ができたから」という口実を作ってツアーに回る。そして、お客さん、友達、バンド仲間やライブハウスの皆に支えられているということに、当然ながら何度も気づいていく。

 結局は全て「ありがとう」という汎用性の高い言葉に収斂されるが、「ありがとう」以外のなにものでもないので、ただただ「ありがとう」という気持ちを抱き締めて今日は昼から惰眠を貪っていた。

 

[2]欲深い
 池袋Admへ向かう車の中でりっちゃんと話していた。上述の「認められたい」という欲求は、りっちゃんの口からは「有名になりたい」というあまりにも素直な言葉で表現されていたが、意味するところはほとんど同じだった。

 有名になりたい。この言葉は朝のニュースの間に放映されるとあるCMで何度も何度も目にしていたので僕は辟易していたが、りっちゃんのピュアさに、自分がCMを見るたびに少しずつ歪んでいたんだなと気がついた。
 認められたい、有名になりたいという欲求を携えて生まれてしまった我々は、ある種「そういう欲求は人間誰しもが持っている」という前提で生きてしまいがちなところがある。が、きっとそういう人は少数である。きっと僕たちはあまりにもピュアで、欲深い。
 詰まるところよくわからない欲求。なにをもって満たされるのか、行き着く先の虚しさも見えているのに、後世に作品を残すという行為も限界があるのに、なぜそれを求めてしまうのか。しかしサービスエリアにつくと、そんな考えはご当地の食べ物の前に吹き飛んでしまった。


[3]ひのとり
 ファイナルあたりでは素早く、迅速にコロナの恐怖が這いよってきていた。ただただ僕たちは運良く全日程をやりきることができたけれど、勝手に仲間と思っているバンドがタイミング悪く患ってしまった話がSNSから漏れてくると、なんともやりきれない気持ちになった。

 この時勢にバンドというとんでもなくコスパが悪く、しかし夢が詰まった集団を続けている人たちは紛れもなく同時代の仲間だ。

 ツアーの達成感があるからこそ、周りのバンドも楽しく音楽を続けてほしい。独りよがりの楽しさは要らない。楽しかったのは、対バンが悔しいくらい良かったからに他ならなかった。

 勝ち負けはないが、自分に負けたくないという思いになるのは、自分に打ち勝ち続けているバンドが身近にいるからである。

 バンド、楽しいなぁ。みんなありがとう。メンバーありがとう。おやすみなさい。明日は仕事。