母の言葉

 

[1]母の言葉

 今年の夏、母が電話口で僕に発した「あんたの今回の人生は音楽やったんやね。」の一言がやけに心に刺さったままになっている。社会人になってもしつこくバンドをやっている僕に、ずっと良いとも悪いとも言わなかった母の発した言葉が、やけに頭に残った。

 良いとも悪いとも言わないときの人間は、大抵「悪いと思ってるけど気を遣って言わない」ことがほとんどだ。きっと母もそう。僕に普通の人生を、普通に歩んでほしかったんだと思う。が、いつまで経ってもしつこく音楽を続ける僕に、根負けした結果、口から漏れ出た言葉だったのかもしれない。音源ができるたびに母に送るが、毎年積まれていくCDケース、それは母を悲しませただろうか、喜ばせただろうか、どちらもだろうか。僕には半分も分からなかった。

 

[2]何故音楽をやっているのか2021

 僕は「音楽」が嫌いだった。中学生の頃の音楽の先生は、なぜか木刀のようなものを床や椅子に叩きつけながらリズムを取っていたので、非常に怖かった。学期末にみんなの前で音痴な僕が歌唱テストをすることも、自尊心を傷つけるには充分だった。

 その傷も癒えず、高校生の頃の自分は「音」ではなく「書く」仕事をするんだろうという謎の自信があった。謎の自信というものは理屈が効かないからタチが悪い。それが小説か、新聞か、エッセイか、なにか分からないけど「文字を書いて」生きることが勝手に決まっていた。

 そして大学で「歴史学」という学問に触れ、人生でこれほど面白いものはない、しかも「書く」ことで自分を表現する面白さを体現できるといった運命を感じ、そのまま大学院へと進学した。大学院への進学までは教授の懇切丁寧な指導のお陰で上手く転がり、これまた運命と捉えていたが、現実はフィーリングだけでなんとかなるものではなかった。覚悟と肝と根性の座った院生がわらわらおり、人生を賭けた彼ら彼女らの奮闘を前に、自分は川の小石にもならないのようなちっぽけな存在に思えた。

 いくらか頑張って足掻いてみたものの駄目で、同僚先輩後輩の本物の格を見せつけられ、自分の周囲の環境にあれこれ言い訳をつけて、呆気なく「書く」ことを挫折した。もっと色んな角度から挑戦してもよかったが、謎の自信というものは、理由もなく謎の消失をするものである。

 

[3]「書く」運命と争っている

 今、高校の友達は漫画を刊行し、大学院の頃の同僚や後輩はエッセイを書いたり、どうやら研究室をもらって遠く離れた地で奮闘している方もいるようだ。「書く」や「描く」ことで得たスキルを糧に、彼ら彼女らは人生を輝かせ、挑戦し続けている。眩しい。

 一方で「書く」ことをすっかり諦めた僕に残ったものはなんだろうか。結局ドラムであり、苦手な「音楽」だった。書くことに対する無意識な未練が、母の「あんたの今回の人生は音楽やったんやね。」の言葉に過剰反応してしまったのかもしれない。本当は母にCDを贈るのではなく、小説や論文を贈りたかったのかもしれない。

 けれども母は嬉々として「あんたのやってるバンドのCD、ダークマターみたいでかっこいいね!」と言ってくれた。独特な表現で思わず笑ってしまったけれど、音楽をやっていて褒めてくれたのは今年になってからである。YouTubeに「はやお頑張ってね!」的な応援コメントを書き込み恥ずかしくなったのか秒で消去したシャイな母の気持ちは、今は半分くらい分かるだろうか。

 いや、やっぱり分からない。息子が「16ビートはやお」なんて名前で活動していて、実の下の名前も「はやお」ではないから。そんな息子を応援したいか普通。まあ、でも、母が嬉しそうにしてくれているのは良かったな。それだけでいいのかもしれない。