攻撃される季節

 

[1]母のビート

ショッピングモールを歩いていると、母が昔好きだと言っていたキャラクターの商品が目に止まった。普段母にプレゼントする習慣はないものの、この機会を逃すともうしばらくはプレゼントしないかもしれないと思い、いくつか手に取って購入し、せっかくだからと去年出した音源も一緒に入れて母宛に送った。

すぐに母から「あんた珍しいな!!」と電話がかかってきた。久しぶりにあれこれ話す中で「もうここまで音楽が好きならドラムを極めなさい。そういう人生なんよ。」と言われた。

音源については「ダークマターみたいでかっこよかったよ。」と言っていた。さすが16ビートの母である。

 

[2]攻撃される季節

もう脱したと思ったのに「攻撃される季節」にまだずっと入っているみたいだ。1ヶ月でイヤホンが2本も断線したし、靴紐も切れた。

ジョジョの奇妙な冒険の作者、荒木飛呂彦氏が文庫本40巻のあとがきで「間違った事をしたり言ったりで攻撃されるのはしょうがないってのがあるが、なにもしてないのに。ていうか信号さえ渡ってもいない。これが「攻撃される季節」。なぜかわけがわからず攻撃されてしまうのだ。」と述べたように、なぜか不利益を被ってしまう時期に入っている。

ここ3ヶ月は間違いなくそうで、なにか悪いことした?というくらい不誠実に対応されたり不義理に振り回されることばかりで、めっきり心が弱っていた。

しかしながら攻撃される季節は、8月8日をもって明確に脱したという実感があった。大嵐があって気持ちが折れまくっていたけれど、なんとか着地点が見つかり台風一過、もう心が晴れ晴れとした気持ちになっていた。が、まだ終わっていないようだ。

おとといおばちゃんの3人集団に平然と電車を割り込みされた時点で気づくべきだった。

 

[3]枯らした植木に水をやる

続けて荒木飛呂彦氏は言う。「この季節では、反撃してもますます攻撃されるので、花粉症の人が花粉が飛ばなくなるのを耐えしのぶように待つしか方法はない」と。

本当にそうなのだろうか?僕は非常に諦めが悪い(だからドラムをまだやっているのかもしれない)。

家の出窓に置いている4つの植木鉢のうち、惰性で2つ枯らしてしまった。しかし、生きている2つに水をやるついでに、惰性で枯らした植木にも水をやりつづけている。惰性に惰性を重ねている。

人生は意外とそんなもので、惰性で水をやっているうちにとっかかりが見つかるものでもある。いや、できることは何でもやってやるという気持ちなのかもしれない。