要るノイズと要らないノイズ

[1]

ホッキョクグマが絶滅寸前という記事が流れてきた。温暖化の影響で、氷の上でのんびりするアザラシがいなくなり、獲物が見つけづらくなったせいで数が減っているらしい。


ホッキョクグマにとっては絶滅に瀕する悲報だが、アザラシにとっては脅威がなくなる朗報である。


どの立ち位置から見つめるかによって、命の価値は相対的に変わってくる。氷の上でのんびりするアザラシはそう教えてくれた。

 

 

[2]

幸せは伝播しにくいけれど、不安はあっという間に伝播する。死に直結するからだ。不安を煽るニュースやコメントとできるだけ距離を取りつつ、けれども情報は集めつつ、なるべく普通に過ごしている。


過度な不安を煽るノイズは日常の判断を狂わせる。命が大事だと言いつつ、結局は自分の命が大事なだけで、自分の命が最優先で確保される主張を声高に喚き立てたり、支持したり、その逆はとにかくこき下ろそうとしたりする。命の天秤の取り合いを見ているようで、なんともいえず、けれども気持ちも分かるので良いも悪いも判別をつけないようにして、だけどちょっとうるさいなぁと思って寝る。

 

 

[3]

「ライブが思うようにできない」という事象はとてもレアな体験だなと思う。


そもそも果たして「音楽活動=ライブ」なのかどうかという問いを突きつけられているような気がして、まぁ半分正解で半分違うよなと思いつつ、ライブができないのであれば、より音楽そのものに沈潜してできることは沢山あるし、新しい楽しみも見つけられると思う。あくまで音楽する側の楽しみ方で、受け手を無視した我儘かもしれないけれど。

 

 

[4]

「日本のバンドは」という括りは間違っているかもしれないけれど、所謂「バンドストーリー」を大事にするバンドは、ライブができないという事象は極めて致命傷になる。


そりゃそうだ。「バンドストーリー」の大体はライブをして、雪だるま式に大きくなって、古くも新しいも全ての人を感動させながら大きくなって音楽でご飯を食べられるようになる、大きいステージでライブをする、という多少の差異はあれど「そういうゴール」があるから、起点の「ライブ」ができないと全ておあずけになる。


放送休止に陥ったドラマから人が離れ、よりゴールは遠くなる。もがく美しさも、ライブができるようになるまでの息継ぎにしかならず、結局はもがけどももがけども絶望という状況になりがちである。こうなると体力勝負にしかならないので、この状況が長引けば長引くほどにじりじりと首を絞められていくようになるんだろうなと思う。

 

 

[5]

一方その頃16ビートはやおは、というと、極めて健全な精神状態で音楽活動をしていた。


不安を煽る不要なノイズを避け、けれども「どこかで誰かが毎日ライブをしている」という心地の良いノイズが無い日々はつまらないなと思いつつ、曲を作り(僕は全く作れないので、曲を作ってくれる人の全力サポートをしているだけである)、準備をし、練習をし、「ライブがない」ということ以外は極めて良好に音楽をしている。


むしろ良い作品を作りたいというマインドを深めることができる期間だと捉えて、ほぼ毎日フル稼働している。なので毎日楽しいし、むしろこの状況でライブが増えたら体が崩壊するんじゃないかとすら思っている。


きっと色んなバンドが、アーティストが準備をしていると思う。この状況が落ち着いたら、間違いなく全て溢れ出ると思うので、僕もその波を作れるように、しっかりビートを刻んでおきたい。