バンドマンの職業はなんだって良い

 

[1]頭が狭いは格好が悪い

 フリーターでバンドマン、かっこいいと思う。夢を追いながら気がついたら年齢を重ねてしまって八方塞がりになる姿だって本気であればかっこいいと僕は思う。美しくなるかはどうかは本人次第だ。社会人であることに安心して石を投げている方が、センスがない。

 むかしむかし、2000年代後半くらいまで「社会人でバンドマン」は「音楽に対する覚悟のない趣味でお遊びの人たち」と言う意見が多かった気がする。確かにそういう人もいたが、趣味でお遊びでバンドをやったって良いし、社会人で本気でバンドやったっていいじゃんとも思っていた。僕にとって職業は何でも良くて、決めつけている頭の狭い人達がとにかくダサいなと感じていた。

 

[2]行き着いた結論は同じでも

 僕は社会人であり、バンドマンである。

 (夜と)SAMPOの吉野君はハンブレッダーズの頃から仲良くさせてもらっているサイコパス仲間だが、彼も現在社会人であり、バンドマンである。しかし彼と僕は結論は同じだけれど、過程が違う。

 

-(夜と)SAMPOの生き様。理想と挫折から生まれた『はだかの世界』

https://antenna-mag.com/post-57406/

 

 吉野君は自らの意志を持って「社会人とバンドマン」の二足の草鞋を履く楽しさとやり甲斐と生活を選んだ。一方僕は意志を持ってその道を選択したわけではない。

 なんとなく流れ着いて、社会的にも音楽的にも親族を安心させるにも居心地が良かったのがこのやり方だっただけで、それ以外には何もなく、そういう自分を否定して生きるには辛いので、なんとなく肯定して生きているに過ぎなかった。社会人では満たされない人生を、音楽を膨らませて実りあるものにしようとしているだけだった。吉野君はすごいよ。

 

[3]理不尽な社会もビートに変える

 研究者になった友達、漫画家になった友達、何か一つの道にどっぷり人生を投げ打って挑戦している人がやっぱり羨ましくて、そこまでの思い切りがない自分はそこが非常にコンプレックスになっていた。

 吉野君の「意志を持った」社会人バンドマンという選択は、幾分か僕に力を与えてくれる。なんとなく社会人バンドマンに行き着いた身としては、行き着いてしまったのだから、これから気にせずやりたいように頑張れば良いよ、と言ってくれている気がした。

 社会人バンドマンというレッテルを貼って色々できない言い訳している方がダサいので、それすらも力に変えて、理不尽な社会ルールもビートに変えて、現と夢を行き来する人生を謳歌しようと思う日々だった。