カモは馬鹿みたいに可愛い

[1]現実から目を逸らすな

 カモ。毎朝通勤途中にカモが沢山泳いでいる川を眺めながら、橋を歩いて渡るのが楽しみになっている。カモはなぜあんなに愛らしいフォルムをしているのだろう。ウキウキしながら眺め癒されていると、数メートル先の歩道でカモが死んでいた。

 外傷もなく、ほどほどに安らかな顔ではあったが、冬のコンクリの上で生き絶えるのはカモ的に「思ってたのと違う」死に際だったかもしれない。

 死の瞬間、カモは何を考えていたのだろう。カモ的に理想の一生だったのだろうか。突然の死だったのか、納得の死だったのか、色んなことをカモになったつもりで考えているうちに会社のデスクに着き、積もる書類が視界に入り現実を見ることになった。

 

[2]死から目を逸らすな

 死はみんなにやってくるとっておきの一大イベントだ。どんなに良いライブをしてもいずれ死ぬ。「この先は君の目で確かめるんだ!」という決まり文句でラスボスまで攻略せず尻切れとんぼになるVジャンプの攻略本のように、死後のことは喜びなのか悲しみなのか誰にも分からない。

 僕の全ての行動や怒りは「死」を尺度に生じているきらいがある。「死」というイベントでみんな強制的に現実からログアウトさせられるのだから、生きている間くらいは多少優しく生きようぜ、と思う。逆に上司の「ちょっと時間いいかな?」という言葉に、「お前、他人の命削ってる自覚あるのかよ!」という怒りスイッチが入ってしまうので、僕の死センサーは非常に敏感である。「殺す」なんて言葉はご法度だ。

 

[3]忘れられてしまう前に

 24時の大阪は魔境だ。個人練帰りに歩いていると、大阪の血の気の多いおじさんと、大阪の血の気の多いおじさんが騒いでいた。「お前殺すぞ!!」「殺せるもんだったら殺してみいや!!」「なんやねんやったろうかてめえ!!」

 ほのぼのした日常の一コマだが、大阪での喧嘩は「声が大きい方が有利」という暗黙のルールがあるのかとかくうるさかった。近くの交番から警官は出てこなかったので「殺すぞ!」という言葉は大阪では「こんばんは、今日も寒いですね」「気をつけて、おやすみなさい」くらいの意味合いだったのだろう。

 これからはもう少し、大阪のおじさんのように死をポップに捉えることができればいいな。路上で死んでいたカモも、僕に「いつも楽しそうに見てたの知ってるよ!いってらっしゃい!!」くらいの気持ちだったのかもしれない。

 ま、そんなわけないけど。そんなわけないけど、僕はちょっと死んでいたカモに思いを馳せてみたかっただけだった。思いを馳せておかないと、会社帰りにはすでに路上から姿を消して処理されていたあのカモは、永劫忘れられてしまうのだから。いつも出社前に癒やしてくれてありがとう。また来世で。