TOEICの得点が思い出せない

 

[1]失敗の事実は残りやすい

 寒くなると思い出すことがある。深夜に目覚めるとそこは河川敷の工事現場だった。夜も煌々と照らす現場用照明の放熱の暖かさに誘われて、僕は家に着く前に、工事用看板に背をもたれて寝ていたようだった。あと川を越えれば家に着くというのに。

 その日はLambdaというバンドと飲みに行っていた。夢と絶望が混じりいる飲み会だった。恐らく僕は大学生だったはずだ。と言うのも、お酒で記憶を無くして最寄駅から一人帰っている時に、芳しくないTOEICの成績が入った封筒をトートバッグごとフェンスの向こうに投げ捨てた記憶だけがうっすらと残っているからだ。もう10年近く前のこと。

 「目覚めたら工事現場だった。」という失敗は脳に濃くインプットされて、今も「寒さ」というトリガーが引かれると思い出すような仕組みになってしまっている。

 

[2]思い出以外は可燃ゴミ

 流行病よりも寒さや望まぬ労働によるやる気や衝動の減衰を恐れていた僕は、お酒の失敗の記憶ではなく、好きなバンドのライブ映像や合間のドキュメンタリーを見て、自分の中にある色んな記憶のトリガーを探していた。

 高校生の僕はSHAKALABBITSをよく聞いていた。アルバムに付いてきた特典ステッカーを無印良品で買ったプラスチック製の手提げ鞄に貼り、大学受験問題集を入れてボロボロになるまで使い倒していた。

 ドラムを始めたての僕は、ライブDVDを再生しながらなけなしのお小遣いで買ったドラムスティックを握りしめ、要らない雑誌をドラム代わりにペチペチ叩いていた。令和にも慣れた今、その時のライブDVDを再生して眺めていると、あの時の曲がトリガーになって色んな記憶が湧き起こってくる。

 高校の文化祭、コピーバンドで体育館で演奏した時に折れて吹き飛んだドラムスティックを、見に来ていた同じクラスの後ろの席の子がキャッチして「これ一生大事にするね」と笑顔で言っていたけれど、きっととっくの昔に可燃ゴミなっているだろう。

 

[3]結局同じことばかりしている

 過去に縋って今の自分を大きく見せたくは決してないが、それは過去を振り返る行為自体を否定している訳ではない。今の自分をどう生きるかというやる気や指針を得る上で、過去を鑑みるというのは非常に重要な作業だ。僕がもっと音楽をやりたいと思うために。

 と、ここまで勢いで書き連ねてきてハッとした。僕が大学院生の頃に齧っていた歴史学は「過去の人々の営みから、今の自分達がどう生きるか考える学問」だと勝手に解釈していたし、そう聞いていた。同じことを音楽という土俵に変えてやっているに過ぎない。結局僕は同じことばかりしている。

 僕はきっと死ぬまで、やる気が後退したり、やたらと湧き上がってきたりするその時々の自分がどう生きるかを、過去から栄養をもらって考え続けるんだろう。とりあえず、今の自分は、明日が早いのでこれから準備をして寝支度を整えようと思う。なんたって明日は工事現場で目覚めた時間くらいに起きなきゃいけないからね。