尺度

 

[1]平等ではない

風が強くて電車が20分ほど遅れた。ようやく乗り込んだ電車内では、恐らく50代のおじさん3人組がマスクもせずに大声で話したり電話したりしていた。

世の中とはそういうものだ。自分が求める倫理観は他人の尺度に当てはまらない。そもそもこんな時勢に外に出ている僕の倫理観も他者から見れば崩壊しているが、他人の生き方を責めないということは、自分の生き方も責めないでねというメッセージになるのでおじさん達を責めなかった。人間は身勝手なので、優しくするから優しくしてねという傲慢なギブアンドテイクを押し付け合いながら生活している。

 

[2]自分に都合のいい世界なんてない

去年の今頃、件のウイルスが騒がれて、色んなイベントがバタバタと延期中止になったとき、「好きな音楽、好きなライブハウスは残ってほしい」と考えていたけれど、裏返せば「好ましく思っていない音楽は消えてもいい」と無意識的に考えているということで、それを何とも思っていない自分は本当に勝手な思考をしているなと辟易した。現場の辛さなんて全然目に入っていない思考だった。

1年経ち状況が好転しない中で、好きも好きではないも関係なく音楽もライブハウスもバタバタと倒れていき、危機に瀕している状況はより深刻さを増した。ロランハーゲンの言葉通り「死は平等」である。怒りや無常をぶつける先は人によって異なるが、ただただ悲しい。

 

[3]MISOJI RIOT

もう過程とか関係性とかの説明は割愛するけれど、MISOJI RIOTというサーキットイベントは個人的に3回目の出演になる。年々「時代の証人」のようなイベントになりつつある。「ボロボロになっても諦めない強さ」なのか「立ち上がったらボロボロになっていた」のか、もはや鶏が先か卵が先か分からないけれど、ボロボロで立つ姿の美しさを感じるイベントだなと思う(これはイベント自体のコンセプトも相まって色んな形で毎年思っている)。

来年は生の熱気があればいいな。もしお呼ばれしたりお手伝いする機会があれば嬉しい。なくとも見に行くけど。

もうなんか、今の状況になる前の、情報過多になるくらい耳に入る無駄な与太話とノイズと、誰それの浮いた話とか、人間の欲望が漏れ聞こえてきて鬱陶しいなと思っていたあの頃が懐かしい。あのくらい、欲望と野望が渦巻いているカオスが戻れば、本当鬱陶しいけど安心するのにな。来年は、どうかな。願いつつ、自分を責められないために他人を責めず、良い演奏を追求する日々である。