現像されない写真

[1]インスタントカメラ

 引き出しに仕舞われたまま。高校3年生の時に遠足で行ったUSJで撮ったインスタントカメラは、十数年経った今も現像されず、実家の引き出しに仕舞われたままだった。

 遠足の後、学校に戻って余った枚数を消費する段階で、友人が事もあろうか男子トイレにカメラを持っていってふざけてアレコレ撮影したとかしないとかの疑惑が発生したため、怖くて現像できず、今に至る。

 今はもう、ネガがダメになって一枚も現像できないだろう。もはや、十年以上前のUSJの記憶は、果たして本当だったのか定かではない。「楽しかった」と脳にインプットされた思い出は、写真が現像されないお陰で日に日に美化されていった。

 

[2]夏休み

 先週、東京行きのZOOZの車内では、大阪がどんどん遠くなっているのにドリカムの「大阪LOVER」がかかっていた。平成に少年期を過ごした僕たちが、一番ノスタルジーを惹き起こす曲を探していた。僕はあの時乗ったハリウッド・ドリーム・ザ・ライドを思い出しながら、雑多な街並みを眺めていた。

 ノスタルジーとは。それは夏休みのプール開き、朝のこども劇場、キックボード、小学校のバザーで並べられたサザエボン、友達の家のゴールデンレトリバーニンテンドー64のポリゴンキャラクター、光化学スモッグ注意報だったりする。

 先週、僕の視界に入っていたのは新大久保や歌舞伎町での欲に微睡む人々だったが、心に映っていたのは小学生の頃の夏休みの思い出達だった。欲望に忠実な大人たちも、みんな夏休みの純朴な思い出があるのだろう。優しくない大人になってしまっても、ノスタルジックな思い出があるのだろう。僕はノスタルジーを忘れて欲にひた走り厚顔を構えて我儘を平気な顔をして貫く大人たちに少し悲しくなった。

 ちなみにZOOZの中でノスタルジー惹き起こし曲ナンバーワンは「月灯りふんわりおちてくる夜」だった。これを聴いて、あの頃の気持ちを思い出す。

 

[3]初ライブ

 音楽の喜び。昨年活動休止したとあるバンドの高校の先輩が、また新しくバンドを始めるというので、どうしても観たくなって仕事終わりにアメ村まで赴いた。

 上手いとか下手とかそういったものを全て押し退けて体から溢れる喜びが、ライブの至るところから発散されていた。喜びが全てに優っていた。なんだか分からないけれど、僕自身も音楽もっとやりたい!と前向きな気持ちになってライブハウスを後にしていた。

 高校生当時は面識のない先輩だったけれど、やはり当時からギターヒーローだった彼は、今日もまたヒーローだった。文化祭ではHY175Rのドラムを演奏していた僕にとって別次元の人だったが、音楽を通じて、時を超えてこうして関わりを持っているというのは、とても感慨深い。

 インスタントカメラに撮られた高校生当時の僕は、こんな人生になるなんて知らずに、USJで呑気に笑顔をレンズに向けていたのだった。無論、その笑顔は現像されることはない。