ぬいぐるみは捨てられない

 

[1]ペンギンショック

 ぬいぐるみには魂が宿る。小さい頃に遊んでいたペンギンのぬいぐるみは、小学生の頃に母親が僕に黙って捨ててしまった。が、襖の隙間からペンちゃんがゴミ袋に詰められる様子を目撃してしまった僕は、そのセンセーショナルな光景にショックを受け、母親は悪魔に取り憑かれたのではないかと思い恐怖した。

 ペンちゃんを救うこともできず、ただただゴミの集荷日まで何もできず、「もう終わってしまったこと」と自分に言い聞かせ、無理やり納得し、どこか心の隙間風を感じながらも、ダメージなど受けていないように過ごしていた。

 このペンギンショックは今も僕の心に張り付いていて、「何もできない虚しさ」を襖の隙間から意図せず学んでしまったのだった。

 

[2]虚しさと向き合うために

 毎日生きていると「何もできない虚しさ」にどれだけ囲まれているのかと不安になる。毎日同じ電車で同じ扉から乗るおじさんは、必ず並んでいる人を無視して入るし、毎朝同じ道で出会うお姉さんは全ての信号を守らないし、下の階のご家族は必ず前日20時くらいにはゴミ袋を収集場所に置いて行ってしまう。

 悲しいことに、ほとんどは自分が諦めるか、気にしないか、自分が変われば「何もできない虚しさ」に囚われず健やかに生活することができるし、大抵はそうやって諦めて暮らしている。そうしないと心が持たないから。

 けれど時々、暮らしの端で捨てられる瞬間のペンちゃんが視界を掠めるのだ。「何もできない虚しさ」から逃げ続けていれば、安心して暮らせるが、いざ大切なものを失ったときに何もできなくなってしまう。それでいいのかと、ペンギンのぬいぐるみはとっくに灰になった今も、僕に問い続けている。

 僕はその度に心がざわつき、一寸考える。諦めるのは簡単だけど、諦めない価値があるかもしれない。その心のざわつきのおかげで、失わずに済んだものもある。やはりぬいぐるみには魂が宿っている。そんなことを思いながら、また気になったぬいぐるみを家に連れて帰ってしまうのだった。