ピュアでありたい

[1]宇宙ターザン

 「みんな不人情だ。ほんとのファンなら、落ち目のときにこそおうえんしなくちゃ。」宇宙ターザンを見捨てない宣言をする勇ましいのび太の姿が描かれているが、この一文をバンドのことに置き換えず、意図せず人生に置き換えて読んでいる自分がいた。そもそも宇宙ターザンってなに。

 自分の浅い人生経験でも何度か、分かりやすく負のスパイラルに陥る時期があり、精神的に追い詰められ、かといってその傷を癒す金銭的余裕もなく、支払いを延ばして目先の食べ物にありついて誤魔化し生きる日々があった。

 自分に原因は幾分かはあるにせよ、そういう時期は分かりやすく人が離れていく。恐らく人間はそういう生き物なので、離れていくことは否定しないが、のび太のように落ち目の時に寄り添ってくれる人の思いやりが、とにかく沁みる日々でもあった。

 

[2]5年前の顔写真

 なぜそんなことを今更思い返しているのかというと、会社の社員証が約5年ぶりに更新されることになったからだ。

 社員証を棚から引っ張り出し、5年前の自分の顔写真と対面すると、恐ろしく人相の違う自分がいた。端的に、すごく胡散臭い人相をしていて、ブラック企業を辞めた直後の自分は、こういう嘘臭さでなんとかブラックな日々を泳いできたのかと思うと、少しの悲哀を感じずにはいられなかった。そりゃ人も離れるよ、と納得もした。

 今の会社に入ったとき、人事が面接で「君はあまりにピュアすぎる」と言ったのは、今思えば胡散臭さの先にある本来のピュアさを見抜かれてしまったのか、それか節穴だったのではないかと勘繰ってしまうほどだった。

 

[3]では5年後

 更新という手続きが酷く面倒に感じてしまう面倒で面倒な性格なので、更新の顔写真は先日のガストバーナーのツアーで売っていたランダム証明写真のなかから、まともなものを選んで社員証を作ってしまった。そもそも証明写真を売るバンドはおかしいのでもはや驚くべきことではない。

 これからあと5年、会社を辞めなければ次の更新があるまでこの社員証を使い続けるのだろう。5年後の自分がこの顔写真を見る時、一体なにを感じるのだろうか。

 できたら「馬鹿してたなぁ」と笑える人生を歩んでいたいものだ。5年後に少しばかりの楽しみを作って、また今日から生活を頑張っていく。棚に社員証をしまった。では5年後。

1ヶ月遅れのお土産

[1]キーウィのぬいぐるみ

 島根に行った時、母にお土産をいくつかを買ったものの、いざ送るとなると途端に面倒になってしまって1ヶ月ほど放置してしまっていた。

 ずっとテーブルに置かれたお土産に目が慣れたころに、これはいけないと、そそくさと段ボールを買ってきて、お土産と、いつの日か天王寺動物園で買い足した鳥のキーウィのぬいぐるみ複数羽のうち1羽と、ガストバーナーとZOOZのCDとを梱包して実家へ送った。

 数日して母からお礼のメールが届いたが、キーウィのぬいぐるみが一番気になったらしい。丸っこいキャラが好きという、あまりに変わらなさすぎる僕のぬいぐるみ観に、母は幼かった頃の僕の姿を重ねたのだろう。キーウィ以外にも積もる話でもしたいと思い、飲みに行く約束はした。が、日取りは一向に決まらぬまま、夏がどんどん過ぎていった。

 

[2]人の心

 ミスを認めない人。「自分のミスを認めない」というのは、どれだけ素晴らしい自己防衛手段なのだろうか。認めなければミスではないし、謝る必要もない。恐ろしいほどに社会には居るし、恐ろしいほどにミスを認めないことで良い地位を築いていたり、良い暮らしを享受していたり、プライドを持っていたり、攻撃的だったりする。

 「人の心を捨てている人ほど、人らしい生活を送ることができる。」社会の矛盾に、僕はこれまでも、これからも悩まされ続けていく。悩んだり、突きつけられた不平等に気力を震わせることすらも、なんだか虚しい。

 ミスを認めない人が消費することのないカロリーと気を遣って、コストパフォーマンスの悪い生活をしている僕は、報われたいとまでは思わないものの、なんとか人の心を失わないまま、今後も暮らしていけたらいいなとは、思うようになっていた。

 

[3]大丈夫という嘘

 見栄と嘘。自分を等身大よりも大きくみせることは馬鹿らしいのだけれど、未だに気を抜くとそういった言動を取っている自分が悲しくなる。それでも昔よりは幾分かは減ったと思う。減ったという見栄を張っているわけではない。

 母に送るキーウィを梱包している時に「ぬいぐるみなんてもう卒業した」なんて見栄は張れないなぁと思っていたが、数年前まではブラック企業で心底苦しいのに母に対しては「大丈夫、大丈夫」を連呼していた気がする。

 「心配をかけたくない」という見栄や、「ブラック企業を見抜けず入ってしまった」自分のミスを認めたくないという気持ちが、「大丈夫」という言葉に集約されていたが、強かに生きる胆力は僕にはなかったので、すぐに心が折れてしまった。

 当時を思い返し、「まぁ、折れるだけの心がまだ僕には存在しているだけ、まだ人として生きようとしていたのかもしれない。」そう思いながら、キーウィのぬいぐるみを梱包し、1ヶ月遅れのお土産を発送する僕だった。

 

 

俗世に染まらないために

[1]迷わず俗世へ還る

 「俗世に戻るなら今のうちだよ」

 大学院は前半が修士課程、後半が博士課程に分かれていて、当時の教授が言うには「博士課程に踏み入れたらもう俗世に戻れない覚悟をしなさい」という意味で、俗世に戻るなら今のうち、と表現したのだと思う。

 その言葉に恐れ慄いた僕は、アニメ版魔法陣グルグルの最終回のように、こっちの扉を開ければ魔王、こっちの扉を開ければ家に帰れる、という選択肢で迷わず家を選んだ主人公たちのごとく、修士課程を修了し、迷わず俗世へと還った。そもそも魔王の部屋に踏み入れるほどの実力は僕には無かった。

 

[2]俗世は厳しい

 心配をかけるな。久々に降り立った俗世では、ブラックな部署を引き当ててしまい、毎日職場が近づくにつれ小気味良くやってくる吐き気と闘っていたが、とうとう家を出ることも出来なくなり、スーツを着るまではできたものの、体が動かない、涙が止まらない状態になってしまった。

 有給を使って休み、しばらくして復帰したが、また吐き気に負けてしまい休んだ日に、自分はなんて情けないんだと思うようになった。尻尾を巻いて大学院の研究も言い訳をつけて逃げ出し、意気揚々と俗世に降りてきたらこの様だった。

 久しく連絡をしていなかった母に連絡をした。「頑張って大学院までいった自慢の息子になんてことをしてくれたんだ!!」

 ほんの一年も経たないうちに社会で弱りきってしまった電話越しの僕の声に、母は職場への怒りを滲ませていた。母の怒りに寄りかかり、僕は少し安心した。

 

[3]心の拠り所

 辛い時に心の拠り所になってくれる人というのは、どれだけありがたいだろうか。

 俗世では、図太ければ図太いほど、他人を押し退け、無視をするほど、皮が厚いほど、人は目先の得を得ることができる。俗世に染まると言うのはきっとそういうことなのだと思う。

 今も毎日、そういった人の図太さに、思いやりのなさに脳が縮む思いをする。なんでこんな人達と関わり続けなくちゃいけないんだろう。そう思うものの、それは俗世の扉を開いた僕の運命だと受け止めるほかなかった。

 ため息と共に、あの時の母の怒りや、いろんな場面で心の拠り所になってくれた人たちの記憶を吐き出す。少し深呼吸して、いつか誰かの心の拠り所になれるように、僕みたいに耐性がないのにうっかり俗世の扉を開いてしまった人を助けることができるように、今日もまた俗世で生き抜くのであった。

 

大人が大人になるということ

[1]団地の景色

 ブラック企業を二度辞め、それでも生きていかなければいけないから、この際やったことのないことをと思い、しばらく警備員をしていた。もう5年くらい前のこと。そこにあったのは不器用な人の温かさだった。

 団地エレベーター工事の警備は基本何もない。稀に高齢者が買い物に帰ってきた時エレベーターに乗れないから、代わりにスーパーの袋を持って数回階段を駆け上がるだけの一日だった。

 小分けにして10時間ほど、毎日団地の5階から外を眺めていた。気を抜くと、辞めたブラック企業の社長の顔が浮かび、怒号が聞こえた。

 あいつは悪魔だ。あんな大人になりたくないな、そう思いながら太陽が登って沈むまで立ち続けていると、「今日はもう上がっていいよ。」と日焼けしたおじさん警備員が声を掛けてきた。しばらく雑談をしていると「あんたはまだ若いんだから、俺みたいな何もない大人になるんじゃないよ」と言っていた。

 それじゃあどんな大人になればいいんだろう。もういい大人なのに。社会に自分の生きる姿を想像できないまま、帽子を脱いでペチャンコ頭のまま家に帰った。

 

[2]アルバムタイトル

 ZOOZは、本当に良いバンドだ。結成当初、僕は過去の積み重ねに甘えずにやろうと決めていた。過去に甘えるということは、現状の自分の怠惰を許すということ。そういう僕の謎の気概を見かねてか、察してか、メンバーは驚くほど音で応えてくれた。

 程なくしてコロナ禍に突入するも、第7波と言われる感染の波に飲まれながら、第4枚目のアルバムを製作している。コロナの波よりも早く製作ができないのが悔しいが、健全に音楽をすること、という芯の強さをメンバーが日々教えてくれたように思う。

 次のアルバムタイトルなにがいいかな、と考えている内にメンバーのことが気になってしまって、思考があちこちに飛んでしまう。アベさんは、コロナが始まったときに、何故かキッズサイズのドラえもんマスクを僕にくれた。しいたけもくれたし、ドラえもんのナップサックもくれた。メンバーは皆、静かにお茶目である。

 そんなメンバーに囲まれて、静かにお茶目な大人になるのもいいかもしれないな。そんなことを思いながら、阪急電車に揺られてマスクの下で微笑んでいた。アルバムタイトルは浮かばない。

 

[3]幸せの根源

 幸せとは。知らない人まで押し拡げるほど僕はできた人間ではないが、身の回りの人たちくらいは幸せになってほしい。

 幸せとは何なのだろうか。分からないが、先日ガストバーナーのメンバーと朝まで飲んで、宿も空きがないからネカフェの机に突っ伏して3時間ほど二日酔い状態で寝ていたのは幸せなんだと思う。こんな年齢なのに。

 幸せの根源は、自分自身にではなく、身の回りの人にある。単純に身の回りの人が嬉しければ僕も嬉しい。それぞれ色濃い業を背負って生きている周りの人たちのおかげで、僕自身も面白おかしく生きていられる。

 周りの人を不幸にしてまで、自分自身の幸せは勝ち取るものではない。周りの人が悲しければ僕も悲しい。

 醜い権力欲と責任逃れが渦巻いた会社のオフィスで、そんなことを考えながら誰よりも仕事に没頭していた。このオフィスの中で、幸せを勝ち取る人もいるのだと思う。しかし、それは僕ではない。僕が欲しいのは、幸せで胃に悪い二日酔いで良いのかもしれない。そんなことを思う大人に、今はなっている。

時間とお金とアウトレットスネア

 

[1]貧乏は楽しい

 僕が子どものころ、間違いなく家は貧乏だったが、不自由だと感じたことはほとんどなかった。それは当然そうで、そもそもお金持ちを経験したことがないのだから、身の回りの環境を憂う発想自体なければ、片親だったが母は僕に目一杯、毎日お腹を膨らませ続けてくれたし、色々やりたいことを経験させてくれた。

 上限はあるが、伸び伸び育っていた。塾へは行けないが、参考書を沢山買うことを許してくれたので、高校生の頃は一人部屋でペットのインコと喧嘩しながら、大学受験勉強に勤しんだりもした。大学に挑戦させてくれるということ自体、当時の家の経済状況を振り返れば、とんでもなく肝の据わった母の挑戦でもあったように思う。

 

[2]貧乏は苦しい

 ありがたく大学院まで進むと、とある懸念にぶち当たる。専門的になっていくにつれ、参考書は分厚くなり、流通はほとんどなく、ハードカバーになり、価格は驚くほど高くなっていった。奨学金という制度はあるものの、授業料や研究にかかるあれこれの費用をバイトで稼がなければ、続けられない。上限のある伸び伸びでは、どうしようもなくなってきてしまった。

 「お金がなければ勉強はできないが、お金を稼ぐために時間を割くと、勉強する時間がなくなる」

 苦学生らしい在り方ではあったが、不器用な僕はここで初めて「時間を確保する手段であるお金」を羨み始めていたし、時間を確保する財力を持ち合わせていないことを言い訳に、他人のスタート地点にも立てていないことを酷く嘆いていた。

 

[3]羨むのはダサい

 しかしながら、他人を羨み限界を感じながらも、やはりそうやって諦める自分はダサいとも思っていた。

 ただ、ダサいと思っているだけで時間もお金もない現状を打破することもできなければ、手のひらからお札が湧いてくるわけでもなく、自分のつまらなさに拍車をかける日々が続いていた。

 そうやって自分のダサさを嘆き、気がつけば何かを諦め、他人を羨みながら、ドラムだけがなぜか残ってしまった。それは、20代半ばくらいの頃の自分の状況だったように思う。

 

[4]9,900円のスネア

 今は生活に不自由しているわけではないが、幼少期の癖が抜けないのか、どうせ自分が叩けば自分の音が鳴るのでドラム機材を無意識にケチっていた。しかし、先日のガストバーナーのツアーファイナルくらいはと思って、それでもケチりたい自分を脱することができず、アウトレットの激安スネアを購入し、背負って名古屋へ向かった。

 結果はどうだ。ライブ中にスネアが壊れるトラブルが起きてしまった。

 そのトラブルは自分の人生を象徴しているようだった。きっとお金があって常日頃良いスネアを用意していれば避けることができたかもしれない。思わず笑ってしまった。結局ライブハウス常設のスネアを叩かせてもらった。

 慣れないことはするもんじゃない。しかし、こんなトラブルでは全く動じなくなった自分に、他人を羨んでいたころから比べて少しばかりの成長を感じて、嬉しくなった。気づけばいつもよりも首が取れんばかりにドラムを叩いていた。首は取れなかった。

ひのとり


[1]鉄は熱いうちに打て
 日常。ガストバーナーツアーファイナルが終わり、疲れた体を引きずって家に帰ると、当然ながら家の中は出発した時のままで、なんだか僕たちがファイナルと息巻いていても、その前後で身の回りの世界が変わるわけでもなく、脱いだままの寝巻きはこれからの日常の継続を示唆していた。
 ライブ中に、はるきちさんが「また音源を作ってツアーに回ります!」と話していた。それを聞きながら、僕はただ日常や人生を楽しく過ごしたい気持ちや、「認められたい」という欲求を音源に込めて、それを「口実」にツアーに回っていただけなのかもしれないと思っていた。
 僕たちはきっとそのうち、また「音源ができたから」という口実を作ってツアーに回る。そして、お客さん、友達、バンド仲間やライブハウスの皆に支えられているということに、当然ながら何度も気づいていく。

 結局は全て「ありがとう」という汎用性の高い言葉に収斂されるが、「ありがとう」以外のなにものでもないので、ただただ「ありがとう」という気持ちを抱き締めて今日は昼から惰眠を貪っていた。

 

[2]欲深い
 池袋Admへ向かう車の中でりっちゃんと話していた。上述の「認められたい」という欲求は、りっちゃんの口からは「有名になりたい」というあまりにも素直な言葉で表現されていたが、意味するところはほとんど同じだった。

 有名になりたい。この言葉は朝のニュースの間に放映されるとあるCMで何度も何度も目にしていたので僕は辟易していたが、りっちゃんのピュアさに、自分がCMを見るたびに少しずつ歪んでいたんだなと気がついた。
 認められたい、有名になりたいという欲求を携えて生まれてしまった我々は、ある種「そういう欲求は人間誰しもが持っている」という前提で生きてしまいがちなところがある。が、きっとそういう人は少数である。きっと僕たちはあまりにもピュアで、欲深い。
 詰まるところよくわからない欲求。なにをもって満たされるのか、行き着く先の虚しさも見えているのに、後世に作品を残すという行為も限界があるのに、なぜそれを求めてしまうのか。しかしサービスエリアにつくと、そんな考えはご当地の食べ物の前に吹き飛んでしまった。


[3]ひのとり
 ファイナルあたりでは素早く、迅速にコロナの恐怖が這いよってきていた。ただただ僕たちは運良く全日程をやりきることができたけれど、勝手に仲間と思っているバンドがタイミング悪く患ってしまった話がSNSから漏れてくると、なんともやりきれない気持ちになった。

 この時勢にバンドというとんでもなくコスパが悪く、しかし夢が詰まった集団を続けている人たちは紛れもなく同時代の仲間だ。

 ツアーの達成感があるからこそ、周りのバンドも楽しく音楽を続けてほしい。独りよがりの楽しさは要らない。楽しかったのは、対バンが悔しいくらい良かったからに他ならなかった。

 勝ち負けはないが、自分に負けたくないという思いになるのは、自分に打ち勝ち続けているバンドが身近にいるからである。

 バンド、楽しいなぁ。みんなありがとう。メンバーありがとう。おやすみなさい。明日は仕事。

「つよくてニューゲーム」はできない

[1]時を戻す魔法

 魔法は使えなかった。夏休み最終日、小学生の僕は「明日起きたら夏休みの初日に戻ってますように!」と強く強く祈りながら寝ていた。しかしながら成功したことはない。

 それはきっと、「できたら宿題は済ませた状態で初日に戻りますように!」と「つよくてニューゲーム」的な欲を出して祈っていたからに他ならないはずで、社会人になった今もまだ、正月休みの終わりには「明日起きたら年末休みの初日に戻ってますように!」と強く強く祈りながら寝る僕の姿があった。しかしながら成功したことはない。

 それはきっと、「できたら一度と言わず、何度も正月休みを繰り返したい!」と欲を出して祈っていたからに他ならないはずで、そんな調子で一生時を戻す魔法を習得できる兆しが見えないまま、光陰矢の如く時は過ぎていった。

 

[2]ニューゲームすらできない

 成功しない。いつまで経っても時を戻すことができないので、僕は真っ直ぐに死に向かって走っていることになる。

 ふと寝る前に「今の人生楽しいけど死ぬんだよな」と思うと、分からないことを考えても仕方ないが、底知れぬ不安が襲ってくるので、YouTubeで三年前にアップされた聞き馴染みのあるゲーム実況を垂れ流して、気を紛らわせて眠りについたりする。

 死ぬ時、「生まれた瞬間に戻りますように!」と強く強く祈ったとして、魔法は成功するだろうか。今のところ時を戻すことに成功したことのない僕は、「成功したら、できたら中学校は治安のいいところ行きたい!」と欲を出して失敗しそうだ。時を戻す自信のないまま、少しだけ死に近づいて朝を迎えるのだった。

 

[3]未来に種を蒔く

 バンドは楽しい。バンドは今を走りながら、並行して半年後、一年後がもっと楽しくなるよう未来に愉しみの種を蒔き続けている。

 いい大人が数人集まって、半年後楽しくなるためにこうしよう、一年後もっと楽しくなるためにああしようとわいわい話し合っている様は、何だか少し滑稽だけれど、こうして未来を明るくしようとする行為はとても希望的だ。

 どうやったって過去に戻る魔法が習得できないなら、できるだけ今と未来を楽しく過ごす作戦を練るしかない。やなせたかしさんが94歳にして「これから面白くなるのになんで死ななきゃいけねぇんだよ!」とお亡くなりになる半年前に話していたが、そういう気持ちで毎日生きたい。

 僕にとって楽しく生きる最善の手段は今のところドラムだっただけ。ただそれだけ。20代の頃は多少あった邪な「売れたい」とかの気持ちを年月かけて丁寧に紐解けば、「楽しく生きたい」という言葉しか残らなかった。

 そんな楽しく生きたい気持ちにさせてくれるのに、叩かれてばかりのドラムにごめんねと思いながら、必要以上に思い切りバシバシ刻んで今日もビートを紡ぎ出す僕であった。ごめんねドラム。