謝って済まなくても警察は要らない

 

[1]起き上がりこぼし

 寂しさの顕れだったのか。中学生の頃に飼っていた青いセキセイインコは雛から育てたので、僕の鎖骨の窪みでうとうとするくらい、お互い許しあえる関係だった。

 その青い子含めて何羽か飼っていたが、僕が高校生になる間にその青い子だけが残ってしまった。家族みんな家を空けることが多かったので、一羽で家守をするのは寂しかろうと、止まり木につけるカラフルなインコ型の起き上がりこぼしを買ってあげた。

 青い子は毎日こぼしをつついて無心で遊んで、遊びに遊んでいたので、いつの間にか塗装が剥げて真っ白になっていたが、それでも毎日つついていた。

 僕が大学生になってしばらくするとインコは徐々に弱って、ほとんど飛ぶこともなくなり、僕と喧嘩をすることもなくなり、ゆっくりと亡くなってしまった。

 その時に、あの起き上がりこぼしを亡骸と一緒に公園に埋めたのだろうか、それとも鳥かごと一緒に捨ててしまったのだろうか、今になって気になっている。どちらにせよ、塗装が剥げるくらいの寂しさを、当時の僕はなんとも思っていなかったし、今更思い出すこともできない。その事実だけが、今の僕の後悔として心に残っていた。

 

[2]大人は謝らない

 パトカーに乗せられていく友人を眺めていた。小学生の頃、友達が自宅に遊びに来たが、うちに来る途中、何故かひったくり犯に間違えられ、追跡されたまま僕の家までやってきたようだった。

 程なく警官がやってきて、友達はパトカーに乗せられて連れて行かれてしまった。警官はズカズカ家に入ってきて、盗品がないか探していたが、残念ながらこれから遊ぶ予定だったプレイステーションが広げられていたくらいで、そそくさと出て行ってしまった。

 当時は連絡を取る手段もなかったので、次の日学校で興奮気味の友達の顔を見てようやく安心した。友達曰く、「すぐにひったくり犯疑惑は晴れたが、警官が全然謝らなかったのがとにかく気に入らなかった」らしい。

 

[3]謝らない大人よりタチが悪い

 「大人は謝らない。」会社に勤めていると、みみっちいプライドしか頼るものがないものだから、謝ることができない大人が沢山いる。

 そんなことはどうだって良いが、なるべく謝ることにしている僕は、青いセキセイインコの寂しさに気づくことができなかった日々を、心の中で謝っていた。

 しかしこれは、「謝らない大人よりもタチが悪い」かもしれない。もう過ぎた日々のことを、取り返しのつかないことを謝って許してもらった気になっている、ただの自己満足ではないかと。過去の後悔を、今の謝罪でただただ自分だけが穴埋めした気になっている。

 悲しいが、過去の後悔や懺悔の念は、治らない痛みとして持ち続けなければ、きっと同じことを繰り返してしまう。子どもの頃に見た、腑に落ちない大人にならないために、できることを模索する日々は続く。

久しぶりの人の突然の電話は怖い

[1]人生の落とし所

 虚しい。朝早めに会社に着くと、「自分は何もしないが人の悪口を言うことで活き活きと輝くお局さん」がすでにエンジン全開で、会社の、同僚の不満を垂れ流していた。

 僕は、朝と対極にあるお局さんの悪口に虚しくなるのではなく、「この人と同じ空間で週に五日間も過ごさなくてはいけない人生を選んだ自分」に虚しくなった。

 土日が、バンドが楽しくて悔しいほど、気持ちが熱中すればするほど、平日の会社に蔓延る虚しさに押し潰されそうになる。週末二日間だけ楽しい人生ではなく、全て楽しい人生を得る方策を今からでも考えるべきだった。

 

[2]32ビートの兄

 兄から不在着信があった。仲は全然悪くないが、普段連絡を取らないので、実に2年半ぶりの着信で心がざわついた。偶然その日、別で訃報が入ったりしたので、何か不幸が重なるのではないかと不安になりながら折り返した。

 「実家の鍵、もってない?」あっけらかんとした兄の声は僕を安心させた。「実家から出て引っ越したときに返したと思うけどなぁ。随分前で覚えてないけど。」

 そこから幾分か近況報告をしていたが、兄はどうやらこの二年半の間に、僕が「16ビートはやお」という名前でドラムを叩いていることに気づいたような素振りだった。兄は核心に触れぬよう、「16ビート」という単語に触れぬようバンドのことをあれこれ聞いてきた。確かに自分の弟が「16ビートはやお」だったらちょっと嫌だよな、分かるよ、でも気が向いたらライブに来てくれよな、と思いながらのらりくらり電話を切った。

 

[3]通販1万円のドラム練習キット

 ドラムというものを初めて知ったのは、兄の影響だった。ある日小学生の僕が家に帰ると、当時高校生の兄は部屋でドラムの練習キットを組み立ててパチパチ叩いていた。しばらくすると飽きたのか、練習キットがプラスチック製なのでうるさすぎたのか、練習する兄の姿を見なくなった。

 バンド音楽を聴くようになったのは、兄のCDラックから適当に取り出したSHAKALABBITSのアルバム「EXPLORING OF THE SPACE」からだった。変なジャケット!と思い聴いてみたらみるみるハマってしまったのだ。

 思い返せば今の人生、週に二日楽しいのは兄のおかげかもしれない。始まりは全て兄にある。

 久しぶりに兄に会いたくなった。久々に実家に帰って「16ビートはやお」として兄と対面しようかな。ライブも見に来てほしいかもな。兄が見に来てくれたら、土日が余計に楽しくなって、落差で平日がより辛くなってしまうかもしれないけど、お局さんの人生よりかは実りあるものとして胸を張ってすごせるだろうな。

 そうすれば、全て楽しい人生に少し近づけるような気がした。

 

前歯は何回折ってもいいですからね

 

[1]前歯を折った日

 「俺だってドラム上手くなりたい!!!!」軽音楽サークルの飲み会終わり、お酒に酔った友達が、深夜の大学の池に飛び込み、ずぶ濡れになりながら叫んでいた。

 そんなぶっ飛んだ奴と、大学を卒業しても年に数回のペースで飲みにいくことにしている。彼はガストバーナーのツアー見にいくよと言ってくれた。

 コミュニティ、それは学校だったり、会社だったり、はたまたバンドであったり様々だけど、卒業、退職、解散でコミュニティの枠が取っ払われると、会わない人がほとんどである。

 大学というコミュニティの枠が外れても、会い続けている彼と僕は親友なんだろうか。認めたくないが、親友なんだろう。なにせ、何年か前に彼と飲みに行って記憶を無くし、僕は帰り道で転倒して前歯を2本折ってしまったくらい心を許しているんだから。

 

[2]コストパフォーマンス

 「バンドなんてコストパフォーマンスの悪いこと、面白くなきゃやってられないよ!」いつかのガストバーナー加納さんが言ってたけれど、本当にそう思う。

 コロナ禍で良かったのか悪かったのか、こんな時勢でも音楽をやろうという肝の座った人達が凄く見えやすくなった。人間の底力と言うべきか、諦めの悪さというべきか、人生の価値の置き所というべきか、「この人は、この部分を大事に生きているんだな」と様々な場面で感じる数年間だった。辟易することも多いけれど、蜘蛛の糸のような細い希望が見える日々でもあった。

 今、音楽が出来ていることは幸せで、かつ異常なことで、世間から爪弾きにされて然るべきことなのかもしれない。

 

[3]消しゴムのような仮歯

 先日母親から「誕生日おめでとう!36歳だっけ?」とメールが来た。思いきり年齢を間違えている。僕は16歳だ。

 続けて「ガストバーナー新曲出ましたね!心が良し!という方向で歩んでください」と綴られていた。やはり、16ビートの母は時勢に流されず偉大である。

 ライブ、見に来てくれたらいいのになと思いつつ、コロナ禍になって母親に会ってないな、あと何回母親に会えるのだろう、と思い、気がついたら「また飲みに行こう!」と友達に送るみたいな返事をしていた。

 母親と飲みに行く日をなんとかこじつけよう。そして、ガストバーナーの新譜をあげよう。ZOOZの新譜もあげよう。そして飲みすぎて記憶を失って、帰り道にこけて前歯を折ったとしても、僕は消しゴムのような仮歯を入れてニコニコしているだろうな。そしたら、バンドやってて良かったと思うかもしれない。

 

昔の友達にはもう会えない

[1]免罪符

 安心は病名から得られる時もある。かつてブラック企業勤めで限界がきてしまい、あれもこれも信じられず複数の心療内科に通っていた頃を振り返ってみると、なんだか僕は「あなたは鬱です!」とはっきりと言ってもらえるところを探していただけのような気がする。

 当時は自分なりにもがいていたけれど、病名さえあれば自分は病人で、免罪符のように病名を携えて、自分の上手くいかない現状に納得したいだけだったのかもしれない。

 勿論病気全てに当てはめてはいけないけれど、病名をつけられるという行為は時に「自分の大変な状況を表すステータス」としての安心感をもたらし、その安心感に浸りすぎてはいけない瞬間もしばしばある。

 

[2]505号室の友達

 謝りたい。小学生の頃、隣のマンションに住んでいた友達とよく遊んでいたし、地獄堂というお寺にもよく行っていた。

 しかし、同じ中学に入ったものの交友関係が互いに変化していくと、僕が一方的に「あの子と同じグループと思われるのが嫌」という理解しがたい思春期特有の理由から、意図的に疎遠に拍車をかけ、中学卒業の頃には素っ気ない仲になって、声もかけないまま今に至る。もう連絡先も何も知らない。

 最近地元を通った時、友達の住んでいたマンションそのものが取り壊されてコンビニになっていたことに気がついた。その光景をみて、かつてその友達の家で潜水艦のゲームをしたり、友達が飼っていたインコの名前の記憶が蘇って、余計に当時の僕の素っ気ない態度を恥じた。

 謝りたくても謝れない。もう、ネットで検索したってなにをしたって、友達の情報は出てこない。

 

[3]必ず8時59分に来る上司

 僕は性格が悪い。会いたくても会えない友達の名前を検索することもあれば、会えても会いたくないブラック企業の上司の名前も検索したりする。

 今春、上司の名前が会社から消えていた。辞めるような人ではなかったけれど、辞めたのだろうか。辞める前に僕がどんどん弱っていく様を、上司なりに心配もしてくれたので感謝している一方、同時に心療内科に通わないといけないくらい八方塞がりになった原因の一つでもあったので簡単に気持ちは割り切れないが、彼もまた、色々抱えていたのだろうか。

 そんな上司の今後を知る手立てはないし、もう二度と会わないだろう。マンションが隣だった友達とももう会わないだろう。そうやって関係は流転しながら、人生は巡っていく。

 最近は「人生はそんなもの。出会いと別れの繰り返し」と思う節もあるけれど、そんな簡単に諦めていいのか?と強く思うようになっている。

 きっと僕がSNSを辞め、音楽を辞めれば同じように消えていくのだろう。けれど僕が音楽を辞めれないのは、音楽を通じて同時代を生きている皆んなとなるべく楽しく長く過ごしたいだけなのかもしれない。そんなことを思いながら、今からスタジオに入って練習してきます。

 

 

ベルトコンベア

[1]山羊革のズボン

 高校生の頃、国語の先生は「40代に入り、僕が子どものころに元気だった大人がどんどん亡くなっていって、まるでベルトコンベアに乗っているみたいに死に向かっている気がする。」と言っていた。

 当時「死」なんて果てしなく遠くにある活力に満ちた高校生のくせに、妙にその言葉が引っかかったまま、気づけば十数年が経った。高校生の時よりも如実に「死」が近づいてくると、あの時の先生の言葉がより輪郭を持って浮かび上がってきた。先生がいつも履いていた山羊革ズボンの記憶は薄れていくのに、言葉の重みばかりが強くなり、ベルトコンベアに乗っている実感が湧いてきた。

 

[2]暇潰し

 仕事は人生の暇潰し。業務中ずっとグーグルアースで国内旅行を決め込んでいる窓際おじさんを尻目に、人間が決めた我儘な「納期」という言葉に振り回されていた僕は、窓際おじさんのデスクトップを視界に入れながら「あのおじさんの人生は楽しいのだろうか」と、あたふた色んな部署に電話をかけたり書類を作ったりしながら考えていた。

 夜に会社を出てひんやりとした外気を浴びた途端、「僕は一日何をしていたんだろう」と我に帰る。仕事は「死」を忙しさで忘れさせてくれる便利な暇潰しだ。

 翌朝も、野良猫を探すかのように路地裏に滑り込み続ける窓際おじさんのモニターを眺めながら、「本当にあのおじさんは人生が楽しいのだろうか」と、繰り返し僕は暇潰しに勤しむのだった。

 

[3]MISOJI

 「MISOJI RIOT番外編」というイベントにガストバーナーで出演した。はるきちさんが喉を壊し、最終的にゲストボーカル6人を迎えてライブを行う形になった。本当にありがとうございました。

 奇しくも、ゲストボーカルの面々が個人的に10年以上付き合いのある方、ずっと知ってたけどここ数年で交流を持つようになった方、10年ぶりに会話を交わす方、様々な時間軸を飛び越えて30分のステージに集結した。同窓会みたいだった。

 こうして音楽仲間に会える時間が本当に愛おしく感じるようになった。いがみあったり、勝手にライバルだと思っていた人達も、「コロナ禍でお互い頑張っているよね」という事実のおかげで、色々飛び越えて僕たちを戦友にしてくれた。ウイルスを勝手に悪者扱いにするのは良くないのかもしれない。

 ともかく僕たちは一緒にベルトコンベアに乗りながらわいわい死に向かっている。グーグルアースを見つめる毎日よりかは、少しばかり刺激的な人生を歩んでいるような気がしないでもなかった。

 

頭から血を流した人に会いたい

 

[1]役に立たない

 なぜ、前を走る知らない人のチャリから投げ捨てられた燃えたままのタバコを、たまたま後ろを歩いていた個人練帰りの僕が踏み消さなければいけないのだろう。

 そんな帰り道、お弁当屋で注文を待っていたら、女性がすごい形相で店員さんの元へ「そこの電信柱で友達が頭打って血を流しているので何か頭を押さえるものをください!!」と駆け込んできた。僕も何か役に立ちたいと思いリュックを探ったが、悲しいかなドラムのスティックしか入っていなかった。幸い軽傷で店員さんから渡されたティッシュで頭を押さえながら、そのまま自力で立ち去っていった。

 「どうでもいいときに役に立ち、大事なときに役に立たないな僕は。」とリュックの中のスティックを眺めながら溜息をついた。

 

[2]役に立たない

 大学院では専攻が歴史学という分野だったことも相まって、この学問は「役に立つのかどうか」という説明を外向きにこねくり回さなくてはならなかった。

 歴史学は僕なんかが抱えきれないほど「今の時代を生きるための学びを過去から得る」魅力的な学問だったが、病気が治るわけでもお腹が膨れるわけでもないので、学の浅い僕は「この学問が役に立つかどうか」について、腑に落ちる説明力を身につけないまま修了してしまった。

 それは自分の勉強不足からくるものでしかなかったが、一方では「「意味がないけどやたら情熱的になれるもの」こそが人生にとって重要じゃん」と自分を納得させていた。学問だって「やりたいからやるんだ」でいいじゃん、と考えていた節があり、そう思うことで学の浅いままの自分を楽に放置し、「有用性」に真っ向から向き合わないままだった。

 

[3]やっぱり役に立たない

 さっき買ったお弁当を頬張りながら、何気なく初めてドラムを叩いた河内松原駅近くのスタジオパイCスタジオを検索していた。

 僕は役に立つのかどうか分からないまま、十年以上ドラムを叩いている。棒で物体を十年以上殴り続けて到底役に立つとは思えない。が、「やりたいからやるんだ」で僕の人生は明るくなっている。社会での有用性と人生の豊かさは異なる尺度で価値を持っている。なんでも役に立つ、立たないの物差しで当て嵌めて切り捨てるのは良くないなと思った。

 これからは頭から血を流した人がいたら、僕は頭を押さえるものではなく、笑顔でドラムスティックを渡そうと思う。いや、ダメか。役に立つ、立たないとかじゃなく、単純にヤバい奴だもんね。やめようね。

 

進め地獄へ

[1]エンドレスおじさん

 「世の中はな、どうせエンドレスなんだよ!!分かっとるわ!エンドレスなんだよ!」

 上司の結婚式の帰り道、泥酔して自宅から20キロ離れた駅に放り出された僕は、タクシーで帰れば良いのに、何かエピソードと、ついでに健康もほしいと欲を出して歩いて帰ることにした。

 明朝自宅近く、突如自転車に乗って出没したおじさんは、虚空に向かって「世の中はな、どうせエンドレスなんだよ!!分かっとるわ!エンドレスなんだよ!」と叫んでいた。

 エンドレスおじさんのヤバさに春を感じる一方、妙に腑に落ちている自分もいて、「確かに人生はエンドレスな側面がある」と思ってしまい、何故腑に落ちているのか考えているうちに家に着いてしまった。

 

[2]地獄堂

 小学生の頃、友達とよく地獄堂と呼ばれるお寺で遊んでいた。大きなペンチを持った鬼が佇み「嘘をつくと舌を抜くぞ」と脅しをかけ、地獄を映し出す鏡にはブラウン管が埋め込まれ、針の山に刺される人々、ぐつぐつ煮られる罪人、賽の河原での石積み、閻魔の恐ろしさが一日中放映されていた。

 端的に言えば生きている間に徳を積まないとこんな地獄に堕ちるよということだった。感銘を受けたのか地獄に行きたくない恐怖からか、僕は遊びに行くたびに、隣のおもちゃ屋遊戯王カードを買うのを少し我慢して、30円の線香を買って焚いていた。少しでも善行を積もうとしていた。

 しかし子どもながらに「地獄に堕ちる恐怖を背景に善行を積むことは、果たして本当の善行と呼べるのだろうか」とぼんやり考えていた。

 

[3]地獄よりも怖いブラック企業

 やはり付け焼き刃な善行の効き目は20代中盤で切れてしまい、僕は何年か前にブラック企業という無限地獄に堕ちてしまった。生きていても地獄に堕ちることはある。

 針の山で刺されるよりも、全ての商品を売っても達成できないノルマを課せられる方が痛い。ぐつぐつ煮られるよりも、自分の脳を騙して麻痺させるしか会社で生きる道がないほうが辛い。閻魔よりも恐ろしい社長が声を発すれば軍隊のように従っていた。

 ブラック企業の社長は常日頃から「僕は嘘をついたことがない」と澄んだ目で言っていた。周りからは沢山嘘を重ねた人にしか見えないが、恐ろしいことに本人は本気で話していた。これでは、鬼も困惑して舌は抜けない。

 あのままブラック企業にしがみついていたら、僕は無限地獄から逃れることができず、エンドレスおじさんのようになっていたかもしれない。だから僕は彼の言葉が腑に落ちたんだと思う。

 そんなことを考えていると、あの時の地獄堂の線香の香りが漂ってきた気がした…、という文章の締めに悩んだ末に嘘を書いてしまった僕は、鬼に舌を抜かれるのが決定してしまったのだった。