音源を出すこと、高校生の時に買っていたコンピCDのこと

僕がドラムを担当しているガストバーナーが、9/16に1stミニアルバム『Happy』を発売する。

 

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(これは爆破を背景にビートを刻む僕が映ったMVのサムネイル)

 

今回のリリース、今のところサブスク配信の予定がない、つまり盤を買わないと全曲聴けない。サブスクないとすっごい不便だなーと思う側面もある。ここ数年で気軽に聴ける選択肢が格段に増えているの良いことだと思う。

 

ただ、こういった音楽のグローバリゼーションを無条件に全て善として考えるのも良くはないなとも思っていたりする。グローバル化の反動には必ずローカル化がある。ガストバーナーの今回のリリースは現時点では恐らく後者寄り。グローバルもローカルも、良いところ悪いところがあるので、音をお届けする手段を拡げたり、あえて絞ってみるだけの話で、善や悪はそこには本来存在しないはず。CD至上主義でも、サブスク全肯定でもない。

 

成り行きだけど、まだライブしないまま、バンドの実態が掴めないままMVのみ発表し、ミニアルバムを発売する。本当にこのバンドは存在するのか、そういったことがふわふわしたまま店頭に音源が並ぶ。買った人にしか、果たしてこのバンドがかっこいいのか分からない。そういう「聴いた人しか分からないしめしめとした嬉しさ」を作る可能性がある。沢山の人に聴いてもらいたいのは当然なんだけど、この「しめしめ感」って結構良い意味で厄介だったりする。

 

僕が高校生の頃、限られたお小遣いで「コンピCD」を買うことにハマっていた。そのころ買っていた新星堂コンピ『D★SELDOM』には、名が知れる前の凛として時雨とか、9mmなんかが収録されていた。それをポータブルSD音楽プレーヤー(MD〜iPod移行期に一瞬流行ったプレーヤー)に入れて、友達に聞かせたら「このボーカル声高くない??変じゃない??」と言われて傷ついたり、「顔が似ている」という理由で部活の先輩が一時期「かみじょう」と呼ばれたりしていた。

 

ともかく僕はそういった「自分だけがかっこいいと思っていたバンド」が「かっこいいから色んな人に認知されていく過程」を優越感たっぷりに『やっぱりな!ほら!!かっこいいじゃんよ!』みたいなしめしめ感を楽しんでいた。

音楽のグローバル化が進むと逆にこのしめしめ感は薄れがちになってしまうだろうし、今回のリリースは敢えてそのしめしめ感を突いてみてる感がある(成り行きだけど)。

 

約3年前、Emu sickSが全国リリースしたときは、リリース自体が「全国に広がれ〜!」的なイメージだったので、リリースの持つ意味は数年で随分変わったなと思う。そういった変化の違いを楽しみながら、やればいいのかなーと思う。何が正しいとかじゃなくて、楽しめば良いよ、多分。レコードとかも良いしね。ソノシートとかカセットとかあるし、VHSとかファミコンとかモールス信号でリリースしたら意味不明だろうな〜。