ビジネスと音楽と怒り

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自分に対してのものを含め、この世のあらゆることに怒りがこみ上げてきて、非常にイライラして毎日を過ごしている。が、怒れる内はまだまだエネルギーもたっぷりあって心身も健康だということの裏返しなので、間違った怒りの解放さえしなければ、全ては良い方向に転んでいくだろうなーと思っている。

 

「何に」イライラしているのかというと、すごく漠然としたもので、自分を含めた「世の雰囲気」や「世の判断力」みたいなものかもしれない。世に蔓延る停滞感やそれを振り払えない自分に対して「馬鹿じゃないの」と思いながら過ごしている。

 

けれど本当は、そういった不安を振り払ってグイグイ引っ張れない自分に対しての怒りがほとんどで、やれコロナだとかを言い訳にしたり、なにもできないのに声だけ大きい人の言動に心がやられている自分の不甲斐なさに怒っている。そんなもの振り払うくらいもっと音楽やれよという話。

 

自分を正当化して他責している時点でまだまだ未熟だ。

 

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人に認められるというか、少なくとも現時点で音楽をしているということは、「不特定多数の人間に対して音楽を発信している」と言い換えられることで、それに伴って得られる結果(チヤホヤされるとか、すごいと思われたいとか、権力とか、金銭欲とか)を少なからず期待してしまっている自分がいる。でも、極力こういうのは捨てなければいけない。

 

この欲求は非常に厄介なもので、ややもするとビジネスツールとしての音楽となる。市場が飽きる前に更にインパクトのあるインスタントな面白さを提供していくことでビジネスを回転させて、絶えずチヤホヤ欲求を満たしていく。

 

折れずに意固地になって、且つ狂うほどに努力すれば「誰もが認めるかっこいいもの」が欲求を通り越してブレイクスルーの結果として生まれる。

 

最近はこれを求めている。これが「自分が本当にかっこいいと思うもの」はかくあるべきだと。こうなるためにはとてつもない孤独とイライラと疲労と闘わなければならない。僕は天才ではないので、いちいちぶつかってこれらを超えなければならない。

 

なので、最近イライラしているのはそうした理想と自分の努力の乖離や、努力を阻害する時間的な制約や疲労への怒りから生じているので、これからもイライラと向き合っていかなければいけないなと思う。そうやって過ごすのも悪くはないかなとは。