共感という麻薬

 

一時期「共感マーケティング」という言葉に感化されて、「どうやってバンドに共感を集めるかなぁ」と考えていた時期があった。


共感は人の渦を作り支持を集め「認められたい」という欲求を満たす手っ取り早い手段に見えた。

 

勝手に共感が「集まる」分には良い、とても良い。ただ共感を「狙い」にいくと分母の大きい集団に理解しやすい表現を心がけることになる。ややもするとどんどん表現はチープになり、平易になり、分かりにくいものは排除され、とことんまでインスタントで分かりやすいもの、分かりやすさ故に個性のないもの、に陥ってしまう。「分かりにくいもの」への配慮がない。本当は心の動きなんてとても分かりにくいはずなのに。

 

「認められたい」のだけど、認められるために化学調味料をバンバン使って味を分かりやすくすると、口に入った時はストレートにどぎつく味が分かるけれど、一方で本来の奥ゆかしい素材の味や風味は殺されている。そんな表現で手っ取り早く「認められたい」欲を満たしても虚しい気がした。だから共感を「狙い」にいくことを辞めた。小手先でどうこうするより、それでいいと思う。