時間とお金とアウトレットスネア

 

[1]貧乏は楽しい

 僕が子どものころ、間違いなく家は貧乏だったが、不自由だと感じたことはほとんどなかった。それは当然そうで、そもそもお金持ちを経験したことがないのだから、身の回りの環境を憂う発想自体なければ、片親だったが母は僕に目一杯、毎日お腹を膨らませ続けてくれたし、色々やりたいことを経験させてくれた。

 上限はあるが、伸び伸び育っていた。塾へは行けないが、参考書を沢山買うことを許してくれたので、高校生の頃は一人部屋でペットのインコと喧嘩しながら、大学受験勉強に勤しんだりもした。大学に挑戦させてくれるということ自体、当時の家の経済状況を振り返れば、とんでもなく肝の据わった母の挑戦でもあったように思う。

 

[2]貧乏は苦しい

 ありがたく大学院まで進むと、とある懸念にぶち当たる。専門的になっていくにつれ、参考書は分厚くなり、流通はほとんどなく、ハードカバーになり、価格は驚くほど高くなっていった。奨学金という制度はあるものの、授業料や研究にかかるあれこれの費用をバイトで稼がなければ、続けられない。上限のある伸び伸びでは、どうしようもなくなってきてしまった。

 「お金がなければ勉強はできないが、お金を稼ぐために時間を割くと、勉強する時間がなくなる」

 苦学生らしい在り方ではあったが、不器用な僕はここで初めて「時間を確保する手段であるお金」を羨み始めていたし、時間を確保する財力を持ち合わせていないことを言い訳に、他人のスタート地点にも立てていないことを酷く嘆いていた。

 

[3]羨むのはダサい

 しかしながら、他人を羨み限界を感じながらも、やはりそうやって諦める自分はダサいとも思っていた。

 ただ、ダサいと思っているだけで時間もお金もない現状を打破することもできなければ、手のひらからお札が湧いてくるわけでもなく、自分のつまらなさに拍車をかける日々が続いていた。

 そうやって自分のダサさを嘆き、気がつけば何かを諦め、他人を羨みながら、ドラムだけがなぜか残ってしまった。それは、20代半ばくらいの頃の自分の状況だったように思う。

 

[4]9,900円のスネア

 今は生活に不自由しているわけではないが、幼少期の癖が抜けないのか、どうせ自分が叩けば自分の音が鳴るのでドラム機材を無意識にケチっていた。しかし、先日のガストバーナーのツアーファイナルくらいはと思って、それでもケチりたい自分を脱することができず、アウトレットの激安スネアを購入し、背負って名古屋へ向かった。

 結果はどうだ。ライブ中にスネアが壊れるトラブルが起きてしまった。

 そのトラブルは自分の人生を象徴しているようだった。きっとお金があって常日頃良いスネアを用意していれば避けることができたかもしれない。思わず笑ってしまった。結局ライブハウス常設のスネアを叩かせてもらった。

 慣れないことはするもんじゃない。しかし、こんなトラブルでは全く動じなくなった自分に、他人を羨んでいたころから比べて少しばかりの成長を感じて、嬉しくなった。気づけばいつもよりも首が取れんばかりにドラムを叩いていた。首は取れなかった。

ひのとり


[1]鉄は熱いうちに打て
 日常。ガストバーナーツアーファイナルが終わり、疲れた体を引きずって家に帰ると、当然ながら家の中は出発した時のままで、なんだか僕たちがファイナルと息巻いていても、その前後で身の回りの世界が変わるわけでもなく、脱いだままの寝巻きはこれからの日常の継続を示唆していた。
 ライブ中に、はるきちさんが「また音源を作ってツアーに回ります!」と話していた。それを聞きながら、僕はただ日常や人生を楽しく過ごしたい気持ちや、「認められたい」という欲求を音源に込めて、それを「口実」にツアーに回っていただけなのかもしれないと思っていた。
 僕たちはきっとそのうち、また「音源ができたから」という口実を作ってツアーに回る。そして、お客さん、友達、バンド仲間やライブハウスの皆に支えられているということに、当然ながら何度も気づいていく。

 結局は全て「ありがとう」という汎用性の高い言葉に収斂されるが、「ありがとう」以外のなにものでもないので、ただただ「ありがとう」という気持ちを抱き締めて今日は昼から惰眠を貪っていた。

 

[2]欲深い
 池袋Admへ向かう車の中でりっちゃんと話していた。上述の「認められたい」という欲求は、りっちゃんの口からは「有名になりたい」というあまりにも素直な言葉で表現されていたが、意味するところはほとんど同じだった。

 有名になりたい。この言葉は朝のニュースの間に放映されるとあるCMで何度も何度も目にしていたので僕は辟易していたが、りっちゃんのピュアさに、自分がCMを見るたびに少しずつ歪んでいたんだなと気がついた。
 認められたい、有名になりたいという欲求を携えて生まれてしまった我々は、ある種「そういう欲求は人間誰しもが持っている」という前提で生きてしまいがちなところがある。が、きっとそういう人は少数である。きっと僕たちはあまりにもピュアで、欲深い。
 詰まるところよくわからない欲求。なにをもって満たされるのか、行き着く先の虚しさも見えているのに、後世に作品を残すという行為も限界があるのに、なぜそれを求めてしまうのか。しかしサービスエリアにつくと、そんな考えはご当地の食べ物の前に吹き飛んでしまった。


[3]ひのとり
 ファイナルあたりでは素早く、迅速にコロナの恐怖が這いよってきていた。ただただ僕たちは運良く全日程をやりきることができたけれど、勝手に仲間と思っているバンドがタイミング悪く患ってしまった話がSNSから漏れてくると、なんともやりきれない気持ちになった。

 この時勢にバンドというとんでもなくコスパが悪く、しかし夢が詰まった集団を続けている人たちは紛れもなく同時代の仲間だ。

 ツアーの達成感があるからこそ、周りのバンドも楽しく音楽を続けてほしい。独りよがりの楽しさは要らない。楽しかったのは、対バンが悔しいくらい良かったからに他ならなかった。

 勝ち負けはないが、自分に負けたくないという思いになるのは、自分に打ち勝ち続けているバンドが身近にいるからである。

 バンド、楽しいなぁ。みんなありがとう。メンバーありがとう。おやすみなさい。明日は仕事。

「つよくてニューゲーム」はできない

[1]時を戻す魔法

 魔法は使えなかった。夏休み最終日、小学生の僕は「明日起きたら夏休みの初日に戻ってますように!」と強く強く祈りながら寝ていた。しかしながら成功したことはない。

 それはきっと、「できたら宿題は済ませた状態で初日に戻りますように!」と「つよくてニューゲーム」的な欲を出して祈っていたからに他ならないはずで、社会人になった今もまだ、正月休みの終わりには「明日起きたら年末休みの初日に戻ってますように!」と強く強く祈りながら寝る僕の姿があった。しかしながら成功したことはない。

 それはきっと、「できたら一度と言わず、何度も正月休みを繰り返したい!」と欲を出して祈っていたからに他ならないはずで、そんな調子で一生時を戻す魔法を習得できる兆しが見えないまま、光陰矢の如く時は過ぎていった。

 

[2]ニューゲームすらできない

 成功しない。いつまで経っても時を戻すことができないので、僕は真っ直ぐに死に向かって走っていることになる。

 ふと寝る前に「今の人生楽しいけど死ぬんだよな」と思うと、分からないことを考えても仕方ないが、底知れぬ不安が襲ってくるので、YouTubeで三年前にアップされた聞き馴染みのあるゲーム実況を垂れ流して、気を紛らわせて眠りについたりする。

 死ぬ時、「生まれた瞬間に戻りますように!」と強く強く祈ったとして、魔法は成功するだろうか。今のところ時を戻すことに成功したことのない僕は、「成功したら、できたら中学校は治安のいいところ行きたい!」と欲を出して失敗しそうだ。時を戻す自信のないまま、少しだけ死に近づいて朝を迎えるのだった。

 

[3]未来に種を蒔く

 バンドは楽しい。バンドは今を走りながら、並行して半年後、一年後がもっと楽しくなるよう未来に愉しみの種を蒔き続けている。

 いい大人が数人集まって、半年後楽しくなるためにこうしよう、一年後もっと楽しくなるためにああしようとわいわい話し合っている様は、何だか少し滑稽だけれど、こうして未来を明るくしようとする行為はとても希望的だ。

 どうやったって過去に戻る魔法が習得できないなら、できるだけ今と未来を楽しく過ごす作戦を練るしかない。やなせたかしさんが94歳にして「これから面白くなるのになんで死ななきゃいけねぇんだよ!」とお亡くなりになる半年前に話していたが、そういう気持ちで毎日生きたい。

 僕にとって楽しく生きる最善の手段は今のところドラムだっただけ。ただそれだけ。20代の頃は多少あった邪な「売れたい」とかの気持ちを年月かけて丁寧に紐解けば、「楽しく生きたい」という言葉しか残らなかった。

 そんな楽しく生きたい気持ちにさせてくれるのに、叩かれてばかりのドラムにごめんねと思いながら、必要以上に思い切りバシバシ刻んで今日もビートを紡ぎ出す僕であった。ごめんねドラム。

 

 

謝って済まなくても警察は要らない

 

[1]起き上がりこぼし

 寂しさの顕れだったのか。中学生の頃に飼っていた青いセキセイインコは雛から育てたので、僕の鎖骨の窪みでうとうとするくらい、お互い許しあえる関係だった。

 その青い子含めて何羽か飼っていたが、僕が高校生になる間にその青い子だけが残ってしまった。家族みんな家を空けることが多かったので、一羽で家守をするのは寂しかろうと、止まり木につけるカラフルなインコ型の起き上がりこぼしを買ってあげた。

 青い子は毎日こぼしをつついて無心で遊んで、遊びに遊んでいたので、いつの間にか塗装が剥げて真っ白になっていたが、それでも毎日つついていた。

 僕が大学生になってしばらくするとインコは徐々に弱って、ほとんど飛ぶこともなくなり、僕と喧嘩をすることもなくなり、ゆっくりと亡くなってしまった。

 その時に、あの起き上がりこぼしを亡骸と一緒に公園に埋めたのだろうか、それとも鳥かごと一緒に捨ててしまったのだろうか、今になって気になっている。どちらにせよ、塗装が剥げるくらいの寂しさを、当時の僕はなんとも思っていなかったし、今更思い出すこともできない。その事実だけが、今の僕の後悔として心に残っていた。

 

[2]大人は謝らない

 パトカーに乗せられていく友人を眺めていた。小学生の頃、友達が自宅に遊びに来たが、うちに来る途中、何故かひったくり犯に間違えられ、追跡されたまま僕の家までやってきたようだった。

 程なく警官がやってきて、友達はパトカーに乗せられて連れて行かれてしまった。警官はズカズカ家に入ってきて、盗品がないか探していたが、残念ながらこれから遊ぶ予定だったプレイステーションが広げられていたくらいで、そそくさと出て行ってしまった。

 当時は連絡を取る手段もなかったので、次の日学校で興奮気味の友達の顔を見てようやく安心した。友達曰く、「すぐにひったくり犯疑惑は晴れたが、警官が全然謝らなかったのがとにかく気に入らなかった」らしい。

 

[3]謝らない大人よりタチが悪い

 「大人は謝らない。」会社に勤めていると、みみっちいプライドしか頼るものがないものだから、謝ることができない大人が沢山いる。

 そんなことはどうだって良いが、なるべく謝ることにしている僕は、青いセキセイインコの寂しさに気づくことができなかった日々を、心の中で謝っていた。

 しかしこれは、「謝らない大人よりもタチが悪い」かもしれない。もう過ぎた日々のことを、取り返しのつかないことを謝って許してもらった気になっている、ただの自己満足ではないかと。過去の後悔を、今の謝罪でただただ自分だけが穴埋めした気になっている。

 悲しいが、過去の後悔や懺悔の念は、治らない痛みとして持ち続けなければ、きっと同じことを繰り返してしまう。子どもの頃に見た、腑に落ちない大人にならないために、できることを模索する日々は続く。

久しぶりの人の突然の電話は怖い

[1]人生の落とし所

 虚しい。朝早めに会社に着くと、「自分は何もしないが人の悪口を言うことで活き活きと輝くお局さん」がすでにエンジン全開で、会社の、同僚の不満を垂れ流していた。

 僕は、朝と対極にあるお局さんの悪口に虚しくなるのではなく、「この人と同じ空間で週に五日間も過ごさなくてはいけない人生を選んだ自分」に虚しくなった。

 土日が、バンドが楽しくて悔しいほど、気持ちが熱中すればするほど、平日の会社に蔓延る虚しさに押し潰されそうになる。週末二日間だけ楽しい人生ではなく、全て楽しい人生を得る方策を今からでも考えるべきだった。

 

[2]32ビートの兄

 兄から不在着信があった。仲は全然悪くないが、普段連絡を取らないので、実に2年半ぶりの着信で心がざわついた。偶然その日、別で訃報が入ったりしたので、何か不幸が重なるのではないかと不安になりながら折り返した。

 「実家の鍵、もってない?」あっけらかんとした兄の声は僕を安心させた。「実家から出て引っ越したときに返したと思うけどなぁ。随分前で覚えてないけど。」

 そこから幾分か近況報告をしていたが、兄はどうやらこの二年半の間に、僕が「16ビートはやお」という名前でドラムを叩いていることに気づいたような素振りだった。兄は核心に触れぬよう、「16ビート」という単語に触れぬようバンドのことをあれこれ聞いてきた。確かに自分の弟が「16ビートはやお」だったらちょっと嫌だよな、分かるよ、でも気が向いたらライブに来てくれよな、と思いながらのらりくらり電話を切った。

 

[3]通販1万円のドラム練習キット

 ドラムというものを初めて知ったのは、兄の影響だった。ある日小学生の僕が家に帰ると、当時高校生の兄は部屋でドラムの練習キットを組み立ててパチパチ叩いていた。しばらくすると飽きたのか、練習キットがプラスチック製なのでうるさすぎたのか、練習する兄の姿を見なくなった。

 バンド音楽を聴くようになったのは、兄のCDラックから適当に取り出したSHAKALABBITSのアルバム「EXPLORING OF THE SPACE」からだった。変なジャケット!と思い聴いてみたらみるみるハマってしまったのだ。

 思い返せば今の人生、週に二日楽しいのは兄のおかげかもしれない。始まりは全て兄にある。

 久しぶりに兄に会いたくなった。久々に実家に帰って「16ビートはやお」として兄と対面しようかな。ライブも見に来てほしいかもな。兄が見に来てくれたら、土日が余計に楽しくなって、落差で平日がより辛くなってしまうかもしれないけど、お局さんの人生よりかは実りあるものとして胸を張ってすごせるだろうな。

 そうすれば、全て楽しい人生に少し近づけるような気がした。

 

前歯は何回折ってもいいですからね

 

[1]前歯を折った日

 「俺だってドラム上手くなりたい!!!!」軽音楽サークルの飲み会終わり、お酒に酔った友達が、深夜の大学の池に飛び込み、ずぶ濡れになりながら叫んでいた。

 そんなぶっ飛んだ奴と、大学を卒業しても年に数回のペースで飲みにいくことにしている。彼はガストバーナーのツアー見にいくよと言ってくれた。

 コミュニティ、それは学校だったり、会社だったり、はたまたバンドであったり様々だけど、卒業、退職、解散でコミュニティの枠が取っ払われると、会わない人がほとんどである。

 大学というコミュニティの枠が外れても、会い続けている彼と僕は親友なんだろうか。認めたくないが、親友なんだろう。なにせ、何年か前に彼と飲みに行って記憶を無くし、僕は帰り道で転倒して前歯を2本折ってしまったくらい心を許しているんだから。

 

[2]コストパフォーマンス

 「バンドなんてコストパフォーマンスの悪いこと、面白くなきゃやってられないよ!」いつかのガストバーナー加納さんが言ってたけれど、本当にそう思う。

 コロナ禍で良かったのか悪かったのか、こんな時勢でも音楽をやろうという肝の座った人達が凄く見えやすくなった。人間の底力と言うべきか、諦めの悪さというべきか、人生の価値の置き所というべきか、「この人は、この部分を大事に生きているんだな」と様々な場面で感じる数年間だった。辟易することも多いけれど、蜘蛛の糸のような細い希望が見える日々でもあった。

 今、音楽が出来ていることは幸せで、かつ異常なことで、世間から爪弾きにされて然るべきことなのかもしれない。

 

[3]消しゴムのような仮歯

 先日母親から「誕生日おめでとう!36歳だっけ?」とメールが来た。思いきり年齢を間違えている。僕は16歳だ。

 続けて「ガストバーナー新曲出ましたね!心が良し!という方向で歩んでください」と綴られていた。やはり、16ビートの母は時勢に流されず偉大である。

 ライブ、見に来てくれたらいいのになと思いつつ、コロナ禍になって母親に会ってないな、あと何回母親に会えるのだろう、と思い、気がついたら「また飲みに行こう!」と友達に送るみたいな返事をしていた。

 母親と飲みに行く日をなんとかこじつけよう。そして、ガストバーナーの新譜をあげよう。ZOOZの新譜もあげよう。そして飲みすぎて記憶を失って、帰り道にこけて前歯を折ったとしても、僕は消しゴムのような仮歯を入れてニコニコしているだろうな。そしたら、バンドやってて良かったと思うかもしれない。

 

昔の友達にはもう会えない

[1]免罪符

 安心は病名から得られる時もある。かつてブラック企業勤めで限界がきてしまい、あれもこれも信じられず複数の心療内科に通っていた頃を振り返ってみると、なんだか僕は「あなたは鬱です!」とはっきりと言ってもらえるところを探していただけのような気がする。

 当時は自分なりにもがいていたけれど、病名さえあれば自分は病人で、免罪符のように病名を携えて、自分の上手くいかない現状に納得したいだけだったのかもしれない。

 勿論病気全てに当てはめてはいけないけれど、病名をつけられるという行為は時に「自分の大変な状況を表すステータス」としての安心感をもたらし、その安心感に浸りすぎてはいけない瞬間もしばしばある。

 

[2]505号室の友達

 謝りたい。小学生の頃、隣のマンションに住んでいた友達とよく遊んでいたし、地獄堂というお寺にもよく行っていた。

 しかし、同じ中学に入ったものの交友関係が互いに変化していくと、僕が一方的に「あの子と同じグループと思われるのが嫌」という理解しがたい思春期特有の理由から、意図的に疎遠に拍車をかけ、中学卒業の頃には素っ気ない仲になって、声もかけないまま今に至る。もう連絡先も何も知らない。

 最近地元を通った時、友達の住んでいたマンションそのものが取り壊されてコンビニになっていたことに気がついた。その光景をみて、かつてその友達の家で潜水艦のゲームをしたり、友達が飼っていたインコの名前の記憶が蘇って、余計に当時の僕の素っ気ない態度を恥じた。

 謝りたくても謝れない。もう、ネットで検索したってなにをしたって、友達の情報は出てこない。

 

[3]必ず8時59分に来る上司

 僕は性格が悪い。会いたくても会えない友達の名前を検索することもあれば、会えても会いたくないブラック企業の上司の名前も検索したりする。

 今春、上司の名前が会社から消えていた。辞めるような人ではなかったけれど、辞めたのだろうか。辞める前に僕がどんどん弱っていく様を、上司なりに心配もしてくれたので感謝している一方、同時に心療内科に通わないといけないくらい八方塞がりになった原因の一つでもあったので簡単に気持ちは割り切れないが、彼もまた、色々抱えていたのだろうか。

 そんな上司の今後を知る手立てはないし、もう二度と会わないだろう。マンションが隣だった友達とももう会わないだろう。そうやって関係は流転しながら、人生は巡っていく。

 最近は「人生はそんなもの。出会いと別れの繰り返し」と思う節もあるけれど、そんな簡単に諦めていいのか?と強く思うようになっている。

 きっと僕がSNSを辞め、音楽を辞めれば同じように消えていくのだろう。けれど僕が音楽を辞めれないのは、音楽を通じて同時代を生きている皆んなとなるべく楽しく長く過ごしたいだけなのかもしれない。そんなことを思いながら、今からスタジオに入って練習してきます。