僕は暗い人間だな

 

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小さい頃テレビで見ていた人がコロッと亡くなったり、オンエアバトルで観てた芸人が時を経て中年になって大病を患ったり、20年前遊んでいた公園がとても小さく感じたり、家の塗装は剥げるし、体や思考をリノベーションしては誤魔化し誤魔化し現代にチューニングを合わせて生きている。

 

歳をとるにつれて、将来への無限の可能性はどんどん閉じていくらしい。みんなそう思っているらしい。ただ僕にとっては、若さに縛られている人だけがそういった若さ至上主義を信奉していればよいだけなので、惑わさないでほしいなとも思う。老いの持つ可能性を積極的に追えば良いだけである。

 

 

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全然後ろ向きな話ではないんだけど、僕は常に死生観に囚われていて、10年前は「これからどうやって生きるか」ばかり考えていた気がするけれど、今は「どう死にたくないか」にシフトしている。「後悔せずに生きたい/死にたい」と考える人は多かれど、僕は「たっぷり現世に後悔して死にたい(できればずっと死にたくないね!)」と考えているらしい。

 

それは老いの可能性を見出し始めたからで、今できることを頑張って生きていれば、50歳になって初めてできることが沢山出てくるだろうし、90歳になってできることもあるし、140歳になって分かることもある。きっと180歳で死ぬときに「やだやだ!190歳になったらもっと人生楽しいはずだもん!!」と思うはずなので、結局どこで切り取っても後悔して死んでしまうのである。

 

そうした前向きな後悔予測が、なぜ音楽をしたいかの原動力になっているので、死生観を考える行為は捨てたもんじゃないなと思っている。

 

 

[3]

ここまで書いて、僕は前向きだけど暗い人間だなと思った。